。厳島に渡った陶晴賢は、厳島神社の東方、塔の岡に陣した。柵を結んで陣を堅め、唐菱《からびし》の旗を翻し、宮尾城を眼下に見下しているわけである。
陶が島に渡ったと聞くと、元就は、要害鼻の対岸、地御前《じごぜん》の火立岩《ひたていわ》に陣を進めた。ここは厳島とは目と鼻の地で、海をへだててはいるが、呼ばば答えん程に近い。だが敵は二万数千余、兵船は海岸一帯を警備して、容易に毛利軍の渡海を許さない。而も毛利の兵船は僅か数十艘に過ぎない。だから元就はかねてから、伊予の村上、来島《くるしま》、能島《のじま》等の水軍の援助を頼んでおいた。
この連中は所謂《いわゆる》海賊衆で、当時の海軍である。
元就はこの連中に兵船を借りるとき、たった一日でいいから船を貸してくれと言った。所詮は戦に勝てば船は不用であるからと言った。水軍の連中思い切ったる元就の言分かな、所詮戦は毛利の勝なるべしと言って二百余艘の軍船が毛利方へ漕《こ》ぎ寄せた。
陶の方からも勿論来援を希望してあったので、この二百艘の船が厳島へ漕ぎ寄するかと見る間に、二十日市(毛利方の水軍の根拠地)の沖へ寄せたので、毛利方は喜び、陶方は失望した。
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