の合戦して雌雄を決せんとの謀《たくらみ》なるべし。厳島渡海を止め、草津、二十日市を攻落し、吉田へ押寄せなば元就を打滅さんこと、時日を廻らすべからず」と言った。
 だが頭のいい元就は、弘中三河守の諫言《かんげん》を封じる為に、座頭を使って、陶に一服盛ってあるのだから叶わない。晴賢は三河守の良策を蹴って、大軍を率いて七百余艘の軍船で厳島へ渡ってしまった。三河守も是非なく、陶から二日遅れて、厳島へ渡った。信長は桶狭間という狭隘の土地で今川義元を短兵急に襲って、首級をあげたが、併しそのやり方はいくらか、やまかんで僥倖《ぎょうこう》だ。それに比べると、元就は、計りに計って敵を死地に誘き寄せている。同じ出世戦争でも、其の内容は、比べものにならないと思う。
 厳島の宮尾城は、遂《つい》此の頃陶に叛《そむ》いて、元就に降参した己斐《こひ》豊後守、新里《にいざと》宮内|少輔《しょうゆう》二人を大将にして守らせていた。陶から考えれば、肉をくらっても飽足らない連中である。
 而も此の二人に陶を馬鹿にするような手紙を書かしているのである。つまり此の二人を囮《おとり》に使い、その囮を鳴かしているようなわけである
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