正頼の三本松の城へ加勢を遣した。この加勢の大将は城より出で、陶方に対して高声に言うには、「毛利|右馬頭《うまのかみ》元就、正頼と一味し、当城へも加勢を入れ候。加勢の大将は某《それがし》なり、元就自身は、芸州神領|表《おもて》へ討出で、桜尾、銀山の古城を尽《ことごと》く攻落して、やがて山口へ攻入るべきの状、御用心これあるべし」と叫んだ。
陶はさぞ吃驚《びっくり》しただろう。芸州神領表というのは、その辺一帯厳島の神領であったのである。
兎に角元就は、雄志大略の武将であった。幼年時代厳島に詣《もう》で、家臣が「君を中国の主になさしめ給え」と祈ったというのを笑って「何故《なぜ》、日本の主にならせ給えとは祈らぬぞ」と云った程の男だから、主君の仇を討つということなどよりも、陶を滅して、我取って代らんという雄志大略の方が強かったのである。
北条早雲が、横合からとび出して行って、茶々丸を殺して伊豆をとったやり方などよりは、よっぽど、理窟があるが、結局陶晴賢との勢力戦であったのであろう。
元来元就は、戦国時代の屈指の名将である。徳川家康と北条早雲とを一緒につきまぜて、二つに割った様な大将である。
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