城へ入ったと書いてあるが、これは恐らく俗説で、当夜熊谷信直の部下を従え、厳島神社の大鳥居の方面から敵の兵船の間を乗り入れて、敵が咎めると、「お味方に参った九州の兵だ」と言って易々と上陸し、塔の岡の坂下に陣して、本軍の鬨《とき》の声のあがるのを待っていた。
 即ち毛利の第一軍は、地御前より厳島を迂廻し、東北岸鼓の浦に上陸し、博奕尾の険を越え、塔の岡の陶本陣の背面を攻撃し、第二軍は、宮尾城の城兵と協力し、元就軍の本軍が鬨の声を発するを機とし、正面より陶の本陣を攻撃するもので、小早川隆景これを率いた。
 第三軍は、村上、来島等の海軍を以て組織し、厳島の対岸を警備し、場合に依《よっ》ては、陶の水軍と合戦を試みんとするものだ。
 元就が鼓の浦へ上陸しようとする時、雨が頻《しき》りに降ったので、輸送指揮官の児玉|就忠《なりただ》が、元就に唐傘をさしかけようとしたので、元就は拳を以て之を払除けた。
 陶の方は、塔の岡を本陣としたが、諸軍勢は、厳島の神社附近の地に散在し、其の間に何等の統制が無かったらしい。之より先弘中三河守は陶に早く宮尾城を攻略すべき事を進言したけれども、陶用いず、城攻めは、十月|朔
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