る洞雲寺という禅寺に葬らせた。
 厳島合戦は戦国時代の多くの戦争の中で圧倒的な大勝であるが、其間に僥倖の部分は非常に少く、元就の善謀と麾下《きか》の団結と、武力との当然の成果と云って宜《よ》い位である。元就は分別盛りであるし、元春、隆景は働き盛りである。晴賢はうまうまとひっかけられて猛撃を喰い、忽《たちま》ちノックダウンされたのも仕方がなかったと言うべきである。陶軍から言わしたら垣並の辞世にある通り、勝敗の跡を論ずる莫れであったに違いない。



底本:「日本合戦譚」文春文庫、文藝春秋社
   1987(昭和62)年2月10日第1刷発行
※底本では本文が「新字新仮名」引用文が「新字旧仮名」ですが、ルビは「新仮名」を共通して使用していると思われますので、ルビの拗音・促音は小書きにしました。
入力:網迫、大野晋、Juki
校正:土屋隆
2009年7月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全9ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング