しまった。
 敗兵が船に乗ったので、陶の水軍が、俄かに狼狽《あわ》て出したところを、毛利の第三軍たる村上、来島等の水軍が攻めかかったので、陶の水軍は忽《たちま》ち撃破されて、多くの兵船は、防州の矢代島を目指して逃げてしまった。
 塔の岡の本陣を攻落された陶軍は、厳島神社の背面を西へ西へと逃走した。勇将弘中三河守は同|中務《なかつかさ》と共に主君晴賢の退却を援護せんが為に、厳島神社の西方、滝小路(現在の滝町)を後に当て、五百騎ばかりにて吉川元春の追撃を迎え撃った。弘中父子必死に防戦したから、流石の吉川勢も斬立てられ、十四、五間ばかり退却した。元春自身槍をとって、奮戦していると、弘中軍の武将|青景《あおかげ》波多野等、滝町の横町、柳小路から吉川勢を横撃した。
 此の時吉川勢殆んど危かったのを、熊谷伊豆守信直等|馳合《はせあわ》せて、其の急を救ったので、弘中|衆寡《しゅうか》敵せず、滝小路の民家に火を放って、弥山道《みせんどう》の大聖院《たいしょういん》に引あげた。吉川勢は、其の火が厳島神社にうつる事を恐れて、消火に努めている間に、晴賢は勇将三浦等に守られて、大元浦《おおもとのうら》に落ちのびた。大元浦は、厳島神社から西北二、三町のところである。そこへ吉川勢に代った小早川隆景が精鋭を率いて追撃して来た。
 陶が此処《ここ》にて討死しようとするのを三浦諫め、「一先ず山口へ引とり重ねて勢を催され候え。越中|殿《しんがり》して討死つかまつらん」と晴賢を落し、斯《か》くて、三浦越中守、羽仁《はに》越中守、同将監、大和伊豆守等骨を砕いて戦った。三浦は、隆景を討たんとし、隆景の郎党、草井、山県、南、井上等又隆景を救わんとして、尽く枕を並べて討死をした。殊に草井は、三浦に突伏せられながら、尚三浦の足にからみついたので、三浦、首を斬って捨てた。
 三浦の奮戦察すべきである。
 隆景の苦戦を知って、元春の軍、後援の為馳付けた。
 三浦は随兵|悉《ことごと》く討死し、只一人になって、山道に休んでいるところへ、二宮|杢之介《もくのすけ》馳付けると、三浦偽って「味方で候ぞ」という。味方でので[#「で」に傍点]の字の発音山口の音なるに依って、二宮敵なるを知って、合じるしを示さんことを迫る。三浦立上って奮戦したが、遠矢に射すくめられ二宮の為に討たれた。
 大和伊豆守は、毛利方の香川光景と戦う。香川は
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