が、銘々酔顔を提《さ》げて駆け集ったとき、つい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよ[#「おとよ」に傍点]という女が、半身に血を浴びながら、
「親の敵を討ちました。親の敵を討ちました」と、絶叫していた。
 幸田とよ[#「とよ」に傍点]女の敵討は、丸亀藩孝女の仇討として、宝暦年間の江戸市中に轟き渡った。江戸の市民は、まだ二十になるかならぬかのかよわい少女の悲壮な振舞いを賛嘆し合った。とよ[#「とよ」に傍点]女の仇討談が、読売にまで歌われていた。それによると、父の幸田源助が討たれたとき、とよ[#「とよ」に傍点]女は、母の胎内に宿ってから、まだ三月にしかなっていなかった。母は、夫の横死の原因が自分であることを知っていたために、亡夫のために貞節を立て通した。とよ[#「とよ」に傍点]女が十六のときに、母は不幸にして、他界した。彼女は、死床にとよ[#「とよ」に傍点]女をよんで、初めて父の横死の子細を語って、仇討の一儀を誓わしめたというのであった。貞節悲壮な母子《おやこ》に対する賞賛は、江戸の隅々にまで伝わった。
 嘉平次が、敵の鈴木源太夫であることについて誰も疑いを挟まなかった。町奉行の役人が、検
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