めた。江戸を立って久しぶりに東海道を上ったのが、元禄三年の秋で、故郷の松江を出てから八年目、彼は三十の年を迎えていた。畿内から中国、九州と探し歩いたそれからの三年間にも、彼は敵に巡り合わなかった。江戸を出るときに用意した百両に近い大金も、彼が赤間ヶ関の旅宿で、風邪の気味で床に就いた時には、二朱銀が数えるほどしか残っていなかった。
彼は、門付《かどづけ》をしながら、中国筋を上って、浪華《なにわ》へ出るまでに、半年もかかった。浪華表の倉屋敷で、彼は国元の母からの消息に接した。母は、自分が老衰のために死の近づいたのを報じて、彼が一日も早く仇を討って帰参することを、朝夕念じていると書いていた。彼は、母の消息を手にして、心が傷《いた》んだ。十一年の間、空しく自分を待ちあぐんでいる痛ましい母の心が、彼を悲しませた。彼は新しい感激で、大和から伊勢へ出て、伊勢から東山道を江戸へ下った。が、敵《かたき》らしいものの影をさえ見なかった。尋ねあぐんだ彼は、しようことなしに奥州路を仙台まで下ってみた。が、それも徒労の旅だった。江戸へ引っ返すと、碓氷峠を越えて信濃を経て、北陸路に出て、金沢百万石の城下にも足を
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