父祖殺された場合は、敵を討ちましても、あらかじめ官に申告しておけば罪にならぬという一条がございますので、ほっと安堵するとともに、復讐の志をいよいよ固めたのでございます。その上、同年、神田筋違橋での住谷兄弟仇討の噂が、高松へもきこえて参りましたので、矢も楯もたまらず、上京して参ったのでござりまする」
 新一郎は、襟元が寒々としてくるのを感じながら、さり気なくきいた。
「敵は分かっているのか」
「分かっております。父が殺された翌日出奔した小泉、山田、吉川など五人に相違ござりませぬ」
「しかし、あの中でも、三人までは死んだが……」
「山田と吉川とが生き残っておりますのは、天が私の志を憫んでいるのだと思います」
 新一郎は、自分の顔が蒼白になっているのを感じると、万之助に、正面から見られるのが嫌だった。
「そのうち、誰が下手人か、分かっているか」
「分かっておりません。お兄様は、あの連中とは御交際があったとのことでござりまするが、お兄様にはくわしいことは分かっておりませんか」
 新一郎は、どきんと胸に堪《こた》えながら、
「いや、わしにも分からぬが……」
「誰が、直接手を下したかは、問題ではござりませぬ。ただ山田も吉川も、敵であることに間違いござりませぬ」
 新一郎は、しばらく黙っていたが、
「太政官でも、新律綱領で敵討を公許したことについては、その後疑義を持ち、大学の教授たちの意見をきくために御下問状が発せられたが、教授たちからも、仇討は禁止すべしとの回答があったので、左院の院議に付され、近々、復讐禁止令が出ることになっている。ことに、維新の際は、私怨私欲のための殺人でなく、国家のために、止むを得ざるに出でた殺人であるから、そなたのように、一途に山田、吉川などを恨むのはいかがであろうか。頼母殿尊霊も、そなたが復讐などに大事な半生を費されるよりも、文明の学問に身を入れて立身出世なされる方が、どれほどお喜びになるか分からないと、拙者は存ずるが……」
 新一郎の言葉は、いかにも肺腑より出るようであった。
「お兄様のお言葉、嬉しゅうござりまする。しかし、私は、立身も出世も望みではございません。ただ、父の無念が晴らしたいのでございます。いや、父はお言葉のように、もう相手を恨んでいぬかも知れません。それならば、私は自分の無念が晴らしたいのでござりまする。父のむごたらしい殺され方を見た口惜しさは、とうてい忘れることができませぬ」
 新一郎は、万之助の激しい意気に圧倒されて、口が利けなくなった。自分が下手人だと名乗ったら、今までの親しみなどはたちまち消えて、万之助はただちに、自分に向って殺到してくるに違いなかった。
「ごもっともである。それならば、復讐禁止令の御発布にならぬ前に志を遂げられたがよい。だが、山田の顔、吉川の顔はご存じか」と、新一郎はきいた。
「それで難儀でござりまする。二人とも存じませぬ。その上、一人は近衛大尉、一人は警部、二人ともなかなか手出しのできぬ所におります。その上、私の志は両人を一時に討ち取りたい願いなので、ことを運ぶのが容易でござりませぬ」
「なるほど……」そう答えて、新一郎は暗然としてしまった。
 新一郎は、名乗って討たれてやろうかと思った。しかし、新一郎は頼母を殺したことを、国家のための止むを得ない殺人だと思っていただけに、名乗って討たれてやるほど、自責を感じていなかった。その上、最近になって、左院副議長江藤新平の知遇を得て、司法少輔に抜擢せられる内約があったし、そうなれば、新日本の民法刑法などの改革に、一働きしたい野心もあった。
 当分万之助の様子を見ながら、万之助に復讐の志を変えさせることが、皆のためにもなり、万之助のためにもなるのではないかと思っていた。
 そのうちに、明治六年が来た。
 正月の年賀に、万之助は水道橋の旧藩主松平邸に行った。彼は、そこで山田甚之助に会ったが、山田は軍刀の柄を握って、万之助に対し少しの油断も見せなかった。万之助は、懐中していた短刀の柄に幾度も手をかけたが、吉川も同時に討ちたいという気持と、相手が着ている絢爛たる近衛士官の制服の威力に圧倒されて、とうとう手が出なかった。
 その夜、万之助は新一郎の前で、泣きながら口惜しがった。
 それから、間もない明治六年二月に、太政官布告第三十七号として、復讐禁止令が発布された。
 布告は、次の通りの文章であった。

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 人ヲ殺スハ、国家ノ大禁ニシテ、人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ、政府ノ公権ニ候処、古来ヨリ父兄ノ為ニ、讐《アダ》ヲ復スルヲ以テ、子弟ノ義務トナスノ古習アリ。右ハ至情不[#レ]得[#レ]止ニ出ルト雖モ、畢竟私憤ヲ以テ、大禁ヲ破リ、私義ヲ以テ、公権ヲ犯ス者ニシテ、固《モトヨリ》擅殺《センサツ》ノ罪ヲ免レズ。加之《シカノミナラズ》、甚シキニ至リテハ、其事ノ故誤ヲ問ハズ、其ノ理ノ当否ヲ顧ミズ、復讐ノ名義ヲ挟ミ、濫リニ相構害スルノ弊往往有[#レ]之、甚ダ以テ相不[#レ]済事ニ候。依[#レ]之復讐厳禁仰出サレ侯。今後不幸至親ヲ害セラルル者有[#レ]之ニ於テハ、事実ヲ詳《ツマビラカ》ニシ、速ニ其筋へ訴へ出ヅ可ク侯。若シ其儀無ク、旧習ニ泥《ナヅ》ミ擅殺スルニ於テハ相当ノ罪科ニ処ス可ク候条、心得違ヒ之レ無キ様致スベキ事。
[#ここで字下げ終わり]

 新一郎は、その布告の写を、役所から携え帰って、万之助に見せた。
 万之助は、それを見ると、男泣きに泣いた。
 万之助が泣き止むのを待って、新一郎は静かにいった。
「かような御布告が出た以上、親の敵を討っても、謀殺であることに変りはない。軽くても無期徒刑、重ければ斬罪じゃ」
 が、万之助は、毅然としていった。
「復讐の志を立ててからは、一命は亡きものと心得ております。曽我の五郎十郎も、復讐と同時に命を捨てました。兄弟としては、必ず本望であったでござりましょう。たとい朝廷から御禁令があっても、私はやります。きっとやります。命が惜しいのは敵を討つまでで、敵を討ってしまえば、命などはちっとも惜しくはございません」と、いった。

 新一郎が、突然喀血したのは、それから間もなくであった。蒲柳《ほりゅう》の質である彼は、いつの間にか肺を侵されていたのである。
 お八重の驚きと悲しみ、それに続く献身的な看護は、新一郎の心を決して明るくはしなかった。新一郎の病気は、だんだん悪くなっていった。その年の七月頃には、不治であることが宣告された。
 新一郎が病床で割腹自殺したのは、八月一日であった。
 数通の遺書があった。万之助に宛てたのは、次の通りである。

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 万之助殿
 御身の父の仇は、我なり。最初、御身の父を刺せしは我なり。止めは幸田なり。吉川、山田などは、当時一切手を下さず。彼らを仇と狙いて、御身の一生を誤ること勿《なか》れ。至嘱《ししょく》至嘱。余の命数尽きたりといえども、静かに天命を待たずして自殺するは、御身に対する我が微衷なり。余の死に依って、御身の仇は尽きたり、再び復讐を思ふ事勿れ。
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[#地から1字上げ]新一郎

 お八重に対するものは、次の通りであった。

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 八重殿。
 死して初めて、わが妻と呼ぶことを許せ。御身の父の仇たるを秘して、御身と契りを結ぶことは、余の潔しとせざるところなり。乞う諒とせられよ。余の死に依りて、讐は消えたらん、御身を妻と呼ぶことを許せよ。余は、上官に対する遺言書に、御身を妻と申告し置きたれば、余の所持金及び官よりの下賜金は凡て、御身の所有となるべし。万之助殿と共に、幸福に暮さるべし。良縁あらば、嫁がれて可なり。
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[#地から1字上げ]新一郎

 万之助とお八重とは、新一郎の死床で、相擁していつまでも、泣きつづけた。



底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:大野 晋
2000年8月26日公開
2004年2月14日修正
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