はちっとも惜しくはございません」と、いった。

 新一郎が、突然喀血したのは、それから間もなくであった。蒲柳《ほりゅう》の質である彼は、いつの間にか肺を侵されていたのである。
 お八重の驚きと悲しみ、それに続く献身的な看護は、新一郎の心を決して明るくはしなかった。新一郎の病気は、だんだん悪くなっていった。その年の七月頃には、不治であることが宣告された。
 新一郎が病床で割腹自殺したのは、八月一日であった。
 数通の遺書があった。万之助に宛てたのは、次の通りである。

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 万之助殿
 御身の父の仇は、我なり。最初、御身の父を刺せしは我なり。止めは幸田なり。吉川、山田などは、当時一切手を下さず。彼らを仇と狙いて、御身の一生を誤ること勿《なか》れ。至嘱《ししょく》至嘱。余の命数尽きたりといえども、静かに天命を待たずして自殺するは、御身に対する我が微衷なり。余の死に依って、御身の仇は尽きたり、再び復讐を思ふ事勿れ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]新一郎

 お八重に対するものは、次の通りであった。

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 八重殿。
 死して初めて、わが
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