ているが、熟睡しているのであろう。気づかない様子である。
「この部屋!」廊下を十間ばかり歩いた時、新一郎は振り返って、そっとささやいた。
 障子がさっと開かれた。そのとたん、
「何奴じゃ」もう十分用意し切った声が、先手三人の胸を衝くように響いた。
 頼母は、すでに怪しい物音に気がつくと、手早く寝間着の上に帯を締め、佩刀《はいとう》を引き寄せていたのである。
「天朝のために、命を貰いに来た!」吉川が低いが力強い声で叫んだ。
「推参《すいさん》! 何奴じゃ、名を名乗れ!」頼母は、立ち上がると、刀を抜いて鞘を後へ投げて、足で行灯を蹴った。
 が、行灯が消えると同時に、山田が持っていた龕灯《がんどう》の光が室内を照した。
 小泉は、広い庭に面した雨戸を、ガラリガラリと開けた。進退の便に備えるためである。
 龕灯に照し出された頼母は、寝床のそばから、飛び返って、床柱を後に当てて、二尺に足らぬ刀を正眼に構えていた。老人ながら、颯爽たる態度である。
「おう!」吉川が斬り込んだが、老人はさっと身を屈《こご》めて、低い鴨居のある違い棚の方へ身を引いた。勢い込んで斬りつけた吉川の長刀が、その鴨居に斬り込ん
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