とう》にかえすは、非常手段に出るほかは、ござらぬ。明日の出兵を差し止める道は、今夜中に成田頼母を倒すよりほか、道はないと存ずるが、方々《かたがた》の御意見は?」と、さすがに蒼白な顔をして、一座を見回した。
「ごもっとも、大賛成!」吉川隼人が、一番にいった。
主人の小泉は、山田とはすでに相談ができていたように、静かに口を開いた。
「成田殿に、個人として、我々はなんの恨みもない。頑固ではあるが、主家に対しては忠義一途の人じゃ。が、一藩の名分を正し、順逆を誤らしめないためには、止むを得ない犠牲だと思う。成田殿一人を倒せば、後には腹のあるやつは少ない。明日の出陣も、総指揮の成田殿が亡くなれば、躊躇逡巡して沙汰止みになるのは、目にみえるようだった。その間に、尊王の主旨を吹聴して、藩論を一変させることは、案外容易かと存ずる。慶応二年以来、我々同志が会合して、勤王の志を語り合ったのも、こういう時の御奉公をするためだと思う。成田殿を倒すことは、天朝のおためにもなり、主家を救うことにもなる。各々方も、御異存はないと思う」
「異議なし」
「異議なし」
「同感」
銘々、口々に叫んだ。
天野新一郎だけは、さすがに何もいわなかった。
小泉は、また静かに言葉を継いだ。
「御異議ないとあらば、方法手段じゃ。ご存じの通り、成田頼母は、竹内流小具足の名人じゃ。小太刀を取っての室内の働きは家中無双と思わねばならぬ。従って、我々の中から、討手に向う人々は、腕に覚えの方々にお願いせねばならぬ」
「左様!」吉川隼人が返事をした。「しかし、多人数押しかけて御城下を騒がすことは、外敵を控えての今、慎まねばならぬ。討手はまず三人でよかろうと思う」
一座は緊張した。が、皆の心にすぐ天野新一郎の名が浮んだ。彼は、藩の指南番、小野派一刀流熊野三斎の高弟であるからだ。
「腕前は未熟であるが、拙者はぜひお加え下されい」吉川隼人がいった。
未熟であるというのは、彼自身の謙遜で、一党の中では使い手である。しかし、新一郎には到底及ばぬ。
「拙者も、是非!」幸田八五郎がいった。
彼も相当な剣客であった。しかし、天野新一郎とは、問題にならぬ。
衆目の見る所、自分よりは腕に相違のある連中に名乗り出でられて、新一郎も黙っているわけにはいかぬ。
「拙者も、ぜひお加え下されい」と、いわずにはおられなかった。
小泉も山田も、新一郎を討手にするつもりはなかったらしく、小泉は、
「いや、天野氏、貴殿はお控えなされたがよい。貴殿を、左様な苦しい立場に置くことは、我々の本意ではない」と、おだやかにいった。
「いや」新一郎は、わずかに膝を乗り出しながら、「貴殿方の御好意はよく分かっている。そのお心なればこそ、拙者に中座せよといわれたのであろう。しかし、先ほども申した通り、私事は私事、公事は公事。この場合左様な御|斟酌《しんしゃく》は、一切御無用に願いたい」と、はっきりいい切った。
「しかし、天野氏、貴殿は成田殿御息女とは、すでに御|結納《ゆいのう》が……」と、小泉がいいかけると、新一郎は憤然として、
「天下大変の場合、左様な私情に拘《こだわ》っておられましょうや。無用な御心配じゃ!」と、喝破した。
皆はだまった。そして、新一郎の意気に打たれて、凛然と奮い立った。
三
しかし、天野新一郎の心事は、口でいうほど思い切ったものではなかった。尊王の志は、人並以上に旺んではあったが、しかし彼は、成田一家とは、元来遠縁の間であったし、かなり深い親しみを持っていた。
頑固一徹な成田頼母も、平生は風変りな面白い老人で、沖釣りが何よりの道楽で、新一郎も二、三度は誘われて、伴をしたことがある。
長男の万之助は、今年十七で、これは文武両道とも、新一郎に兄事していて、
「お兄さん! お兄さん!」と、慕っている。
その姉の八重が、一つ違いの十八で、新一郎との間に結納が取り交わされるばかりになっているのであるが、世間が騒しいので、そのまま延々になっているのだ。
だから、成田邸の勝手は、自分の家同様に心得ている。
成田邸への襲撃は、その夜の正《しょう》子《ね》の刻と決った。
先手は、吉川、幸田に新一郎を加えて三人、二番手は小泉、山田に、久保三之丞の三人。
新一郎は、同志の手前、平気を装っていたが、さすがに心は暗く、足は重かった。
小泉が、
「無用の殺人は絶対に慎むよう。家来たちが邪魔をすれば、止むなく斬ってもよいが、頼母殿さえ倒せば、後はどんどん引き上げる。ことに、嫡子万之助殿などは怪我させてはならぬ」と、皆に注意してくれたのが、新一郎としては、嬉しかった。
さすがに、明朝の出陣を控えて、城下はなんとなく騒々しかった。いつもは暗い町が、今宵は灯が洩れる家が多く、子の刻近くなっても
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