、物音人声などが外へきこえる家が多かった。
 六人は、銘々黒布をもって、覆面をした。成田邸は、淋しい馬責場《うませめば》を前に控えた五番町にあった。
 新一郎は、一度は二番町の自邸に帰り、家人たちには、寝たと見せかけて、子少し前に、わが家の塀を乗り越えて、馬責場へ急いだ。
 正子の刻には、六人とも集った。
「天野氏、近頃心苦しいことではござるが、成田邸への御案内は、貴殿にお願い申す」と、山田がいった。
「承知|仕《つかまつ》った」
 新一郎の顔が、蒼白になっていることは、月のない闇なので、誰も気がつかなかった。
 成田邸の裏手の塀に、縄梯子がかかった。
 新一郎は、一番に邸内へ入った。
 泉水の向うの十二畳が頼母の居間、その次の八畳を隔てて向うに、お八重殿の居間がある。どうか起きて来てくれるなと、心に祈った。
 たとい、覆面していても、お八重殿や万之助には、姿を見られたくないと思った。
 雨戸を叩き破る手筈で、かけや[#「かけや」に傍点]を用意してきたが、しかしそれでは邸内の人々を皆目覚してしまうことになるので、他に侵入口を探すことになった。
「天野氏、どこか破りやすい所は、ござるまいか」山田が、新一郎にささやいた。
「ある。中庭の方へついた小窓」そう答えた刹那に、新一郎は後悔した。いくら、大義名分のためとはいえ、そこまではいわなくたってもいいのではなかったかと、思った。
 六人は、庭を回って、中庭に入った。なるほど、直径《さしわたし》二尺ぐらいの低い窓が、壁についている。格子形に組んである竹も細い。小泉は、小刀を抜くと、一本一本音を立てぬように、切り始めた。山田も手を貸した。
「幸田殿、貴殿はいちばん身体が小さい。ここから、潜って入って、雨戸をお開け下されい」
「よし、来た」幸田は、大小を小泉に渡すと、無腰になって、潜りぬけた。
 そして、中から大小を受け取りながら、
「天野氏、桟はどこだ。ここの端か、向うの端か」ときいた。
「たしか向うの端」
 幸田は、廊下を忍んで歩いて行った。
 外側の五人も、忍び足で雨戸の向うの端へ歩いた。
 桟を上げる音が、かすかに響いた。雨戸が、低い音を立てて開いた。皆、刀を抜いた。小泉が、「天野氏、どうぞお先に。みんなみんな静かに」と、いった。先手の連中が先へ出た。
 そこの廊下に添うた部屋は、お八重殿の部屋である。灯がかすかにともっているが、熟睡しているのであろう。気づかない様子である。
「この部屋!」廊下を十間ばかり歩いた時、新一郎は振り返って、そっとささやいた。
 障子がさっと開かれた。そのとたん、
「何奴じゃ」もう十分用意し切った声が、先手三人の胸を衝くように響いた。
 頼母は、すでに怪しい物音に気がつくと、手早く寝間着の上に帯を締め、佩刀《はいとう》を引き寄せていたのである。
「天朝のために、命を貰いに来た!」吉川が低いが力強い声で叫んだ。
「推参《すいさん》! 何奴じゃ、名を名乗れ!」頼母は、立ち上がると、刀を抜いて鞘を後へ投げて、足で行灯を蹴った。
 が、行灯が消えると同時に、山田が持っていた龕灯《がんどう》の光が室内を照した。
 小泉は、広い庭に面した雨戸を、ガラリガラリと開けた。進退の便に備えるためである。
 龕灯に照し出された頼母は、寝床のそばから、飛び返って、床柱を後に当てて、二尺に足らぬ刀を正眼に構えていた。老人ながら、颯爽たる態度である。
「おう!」吉川が斬り込んだが、老人はさっと身を屈《こご》めて、低い鴨居のある違い棚の方へ身を引いた。勢い込んで斬りつけた吉川の長刀が、その鴨居に斬り込んだので、あわてながら刀を抜こうとする隙を、老人は身を躍らして、吉川の左肩へ、薄手ながら一太刀見舞った。
 さすがに、小太刀組打を主眼とする竹内流の上手である。
 吉川が斬られたのを見て、幸田が素早く斬り込んだが、老人は床柱の陰に入って、それを小楯に取りながら、小太刀を片手正眼に構えている。
 邸内が、ざわめき出した。手間取っては、大事である。主謀である小泉はあせった。
「天野氏! 天野氏!」彼は思わず新一郎の名を呼んでしまった。新一郎が、自分の名を呼ばれてはっと驚いた以上に、老人が驚いた。
「新一郎か、新一郎か!」老人は、狂気のように目を据えて、覆面の新一郎を睨んだ。
 新一郎は、熱湯を呑む思いであった。
 先刻からも、頼母の必死の形相に、見るに堪えない思いをしながら、際あらばと、太刀を構えていたのであるが、相手にそれと知られては、いよいよ思い乱れて、手練の太刀先さえ、かすかに震えてくるのであった。
「天野氏、拙者が代る!」いら立った山田が、新一郎を押しのけようとする。こうなっては、新一郎も絶体絶命の場合である。
「助太刀無用、拙者がやる!」新一郎は、そういって、山田を押しのけると、「
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