伯父上、御免!」と、必死の叫びを挙げて、相手が楯にしている床柱を逆に小楯にして、さっと身を寄せると、相手の切り下ろす太刀を避けながら、左の片手突に、頼母の左腹を後の壁に縫いつけるほどに、突き徹した。
 幸田が、右手から止めの一太刀をくれた。
 小泉はかけ付けて来た家来たちと、渡り合っていたが、頼母が倒れるのを見ると、
「方々、引き上げ! 引き上げ!」と叫ぶと、手を負うている吉川を庇《かば》いながら、先刻引き上げの用意に開いておいた裏口の方へ走り出した。
 新一郎は、倒れた頼母の死屍へ、片手を挙げて一礼すると、いちばん後から庭へ飛び下りた。
「曲者《くせもの》待て!」万之助の声がきこえた。
(万之助殿、お八重殿許せ!)彼は、心でそう叫びながら、泉水を飛び越えると、同志たちの後を追った。
「待て、卑怯者待て!」万之助の声が、四、五間背後でした。が、新一郎は後を見ずに走った。

          四

 成田頼母横死の報は、高松藩上下の人々を震撼させた。翌朝の出兵は、延期された。
 それは、佐幕主戦派にとっては、大打撃であった。
 藩論は、たちまち勤王恭順に傾いた。藩主|頼聡《よりとし》の弟である頼該《よりかね》の恭順説が、たちまち勢力を占めた。
 藩論は、鳥羽伏見の責任を、出先の隊長であった小夫兵庫、小河又右衛門の二人に負わせて、切腹させることになった。
 二人の首が、家老蘆沢伊織、彦坂小四郎の手で、その時姫路まで下っていた四国鎮撫使、四条侍従、四条少納言の陣営へ届けられた。
 土佐の兵、丸亀藩の兵は、高松城下に二、三日滞在しただけで、引き上げた。
 そして、輝かしい王政維新の御世が来た。
 成田頼母を暗殺した人々は、その翌日、その翌々日にかけて、高松を出奔した。
 新一郎も、一緒に逃げようとすると、小泉も山田も止めた。
「貴殿は、天野家の嫡子として、身分の高い人じゃ。我々が下手人の罪を負うて脱藩すれば、誰も貴殿を疑う者はあるまい。貴殿は、藩に止まって、国のため一藩のために尽してもらいたい。一度、朝敵の汚名を取った藩の前途は、容易なことではあるまい。貴殿のなさるべき仕事は、たくさんあると思う」という彼らの意見であった。
 新一郎は、下手人の筆頭は、自分であることを思うと、自分だけ止まることは、いかにも心苦しかったが、しかし、小泉や山田と共に脱藩して、万之助やお八重に、自分が下手人であると知られるのも、嫌だった。
 新一郎が悩んでいるうちに、小泉たちは、城下の西の糸ヶ浜から、次々に漁船を雇うて、備前へ逃げてしまった。
 成田頼母の下手人は、小泉、山田、吉川、幸田、久保の五人に決定してしまった。
 しかも、王政維新の世になってみると、佐幕派の頼母の死は、殺され損ということになって、下手人たちを賞賛こそすれ、非難するものはなかった。
 まして、天野新一郎を疑う者などは、一人もない。
 頼母の遺子の万之助もお八重も、新一郎を疑うところか、父なき後は、新一郎を唯一人の相談相手として、頼り始めた。
 新一郎が勤王派であったことは、新一郎の立場を有利にして、明治三年に彼は太政官に召されて、司法省出仕を命ぜられた。
 成田頼母を斬った六人の同志のうち、小泉主膳は長州の藩兵に加わって北越に転戦していたが、長岡城の攻囲戦で倒れた。幸田八五郎は、薩の大山格之助の知遇を得て薩軍に従うていたが、これは会津戦争で討死した。
 久保三之丞は、明治元年の暮近く京都で病死した。
 残った三人のうち、山田甚之助は近衛大尉になっており、吉川隼人は東京府の警部になっていた。
 天野新一郎は、学才があるだけに出世も早く、明治も五年には東京府判事になった。
 が、彼は高松を出てから、成田頼母の遺族を忘れることはなかった。
 許嫁《いいなずけ》同様の、お八重の美しい高島田姿を時々思い出した。お正月や端午の節句などに成田家へ遊びに行くと、酒好きな頼母の相手をさせられたが、そんな時には、きっとお八重が、美しく着飾ってお酌に出た。
 頼母の横死の後も、お八重や万之助は少しも新一郎を疑わなかった。しかし、新一郎は、良心に咎《とが》められて、自分から成田家へ足を遠ざけた。
 お八重の父親の死に加えて、維新の変革が続いて起ったので、新一郎とお八重の縁談は、そのままになってしまった。
(もう、お八重殿は、きっとどこかへ縁付かれたであろう。それともまだ家におられるだろうか)
 新一郎は、東京に出てからも、時々そう考えた。
 お八重に貞節を守っているわけではなかったが、新一郎もまだ結婚しないでいた。先輩や同僚から縁談を勧められたが、なんとなく気が進まなかった。
 明治四年の春に、高松から元の家老の蘆沢伊織が上京して来た。新一郎とも遠縁であったし、成田の家とも遠縁であった。
 新一郎が、水道橋
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