つ瀬があるか。ことの起りは、あちらにある。ところが、殿中でわしに斬りつけるという乱暴なことをやったために、よくよくのことだということになって、たちまち彼奴《きゃつ》が同情されることになるのだ。わしが、あの時殺されていても、やっぱり向うが同情されるだろう。あいつが、でたらめのことをやったということが、世間の同情を引くことになるのだ。ばかばかしい」
「しかし、わけを知っている人は、よく分かっています」
「そうだろう。だから、お上からも、わしはお咎《とが》めがなくて、あいつは切腹だ。しかし、世間は素直にそれを受け入れてくれないのだ。彼奴が乱暴なことをしただけで、向うに同情が向くのだ。思慮のない気短者を相手にしたのが、こちらの不覚だった。まるで、蝮《まむし》と喧嘩したようなものだ。相手が悪すぎた」
「まったく」
「内匠も内匠だが、家来がもっと気が利いていれば、こんな事件にはならないのだが。わしは、迷惑至極だ。斬られた上に世間からとやかくいわれるなんて。こんな災難が、またとあるか」
 医者が次の間から、
「あまり、お喋りになっては」と注意した。

          八

 上杉の付家老、千坂兵部が、薄茶を喫し終ると、
「近頃、浅野浪人の噂をおききになりましたか」と、上野にいった。
「どんな?」
「内匠頭のために、御隠居を討つという」
 上野は笑って、
「何でわしを討つ? 内匠頭に斬られそこなった上に、まだその家来に斬られてたまるか」
「なるほど、内匠頭が切腹を命ぜられたのは自業自得のようなもので、恨めば公儀を恨むべきで、老公を恨むところはないはずですが、ただ内匠頭が切腹のとき、近臣の士に、この怨みを晴らしてくれと遺言があったそうで、家臣の者の中に、その遺志を継ごうというものが数多あるそうで……」
「主が、自分の短慮から命を落したのに、家来がその遺志を継ぐという法があるものか」
「ところが、世間の者は、くわしい事理は知らずに、ただ敵討というだけで物を見ます。こういう衆愚の力は、恐ろしいものです。その吹く笛で踊る者が出てきます。それに、浅野浪人も、扶持に放れた苦しみが、この頃ようやく身にしみてきましたから、何かしらやりたいのです。仕官も思い通りにならないとすると、局面打開という意味で、何かやり出すにきまっています。彼らは、位置も禄もありませんから、強いのです。何かしてうまく行け
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