て、行き過ぎようとした。
「教えて下さらんのか?」
「教えて下さらんというのか、内匠、貴殿、わしが教えてきいたことがあるか?」
「明日のことは、儀式のことにて、公事ではござらぬか」
「公事なればこそ、先刻通達したときに、なぜききもらした?」
「それは、拙者の不念ゆえ、お教えを願っているのに」
「貴公の不念の尻拭いをしてやることはない!」上野は、そういって歩き出した。
「教えんと、おっしゃるのか」内匠は、後から必死の声で呼んだ。
「くどい!」
「公私を混同して……」と、内匠がいうと、
「それは、貴公だろう。金の惜しさに、前例まで破って!」
「何!」
 梶川が、
「あっ!」と、低く叫んで立ち上った。上野は、
「何をする!」と、叫んだ。内匠頭の手に、白刃が光っていた。
 上野は、よろめいて躓《つまず》くように、逃げ出した。内匠頭が及び腰に斬りつけたとき、梶川が、
「何をなさる!」と叫んで、組みついた。

          七

「内匠頭は、切腹と決りました」と、子の左兵衛が枕元へ来ていった。
 上野は、横に寝て、傷の痛みに顔を歪めていたが、
「そうだろう」と答えた。
「お上では、乱心者としてもっと寛大な処置を取ろうとなさいましたが、内匠頭は、乱心でない、上野は後の人のために生かしておけんなどと、いろいろ理屈をいったそうで、とうとう切腹に……」
「あの意地張りの気短め、どこまで考えなしか分かりゃしない。そして、殿中ではどう評判をしている。どちらが悪いとかいいとか」
「ええ、内匠頭の短慮と吝嗇《りんしょく》はよく知っていますが、殿中で切りつけるには、よくよく堪忍のできぬことがあってのことだろうというので、やはり同情されています。梶川の評判はよくないようです。どうしてもっと十分にやらせてから、抱きとめなかったかと……」
「無茶なことをいう、十分にやられてたまるものか。わしは軽い手傷だし、向うは切腹で家断絶だから、向うに同情が向くだろうが、といって、わしを非難するのは間違っている」
「いや、父上を一概に非難してはいませんが」
「いや、事情の分かっている殿中でそのくらいなら、ただことの結果だけを見る世間では、きっとわしをひどくいうだろう。わしは、今度のことでわるいとは思わん、わしは高家衆で、幕府の儀式慣例そういうものを守って行く役なのだ。その慣例を無視されたのでは、わしにどこに立
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