村人たち、甚吉を取り押える)
役人 その者は、何者じゃ。
茂兵衛 甚兵衛の弟では、ござりまするが、甚兵衛が愚鈍な者でござりますゆえに、このものが家を取っておりまする。
役人 甚兵衛は、重罪の嫌疑じゃほどに、親子兄弟も免れまい。(手下の捕吏に)あの者を召捕りおけ!
甚吉 それは、きこえません。それはきこえません。こなな阿呆のいうことをきいて。こなな阿呆が、お奉行様に石を投げ打つような、そなな大それた……。
甚兵衛 (縄にかかりながら)わしゃ、こななでっかいやつを……。
村人たち 甚兵衛どの、拝みますぞ。拝みますぞ。
甚兵衛 おおわしはな。こななでっかいやつを……。
役人 その弟どもを、召し捕れ。
甚吉 (口惜し泣きに泣きながら)わしたちまで、難儀をかけるのか。阿呆め! ど不具め!
甚兵衛 わしは、こななでっかいやつを……。(手で石の大きさを示そうとするが、もう両手が縛られて動かない)
村人たち 甚兵衛どん、拝みますぞ。拝みますぞ。みんな拝んでおりますぞ。
茂兵衛 甚兵衛どの。わしからも礼をいいますぞ。おぬしを決して見殺しにはしませぬぞ。御領分中の百姓衆の名前を借りて、きっと嘆願に出まするぞ。
甚兵衛 何をいうぞ。わしは皆の衆にそういわれると、ただうれしいだ。うれしいだ。
甚吉 (無念の形相で、睨みすえながら)この阿呆のど不具め!
甚兵衛 わしは、こななでっかいやつをな……。(くくられた手を動かそうとする)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(村人たちが感謝と賞嘆との声のうちに)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]――幕――

          第三幕

[#ここから3字下げ]
第二幕より数日を経たる十二月の末。香東川原刑場。小石の多い川原に竹矢来が作られている。かなたに水の枯れた川原がつづき、背景に冬枯れた山が見える。木枯が川原を伝うて吹いてくる。幕開けば、初めは矢来の外側を見せ、次いで舞台を半回しして、矢来の内側を見せる。矢来の外には多くの見物が群集している。弦打村の庄屋、名主、年寄、村人たちもその中に交っている。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
村人 庄屋どん。百余カ村の庄屋たちが連署の嘆願も、やっぱりむだじゃったかのう。
茂兵衛 わしゃ、そうきかれると面目ないがのう。お奉行様になんぼ泣きついても、むだじゃった。
名主 お上じゃ、誰でもかまわん。下手人を磔にして、御威光を見せれば、ええんじゃ。
村人二 なんぼ考えても、甚兵衛どんは可哀そうじゃ。あの時は、みなめいめいに、石を投げたんじゃけにのう。ただ甚兵衛どんだけが、正直でずけずけいうてしもうたんじゃけにのう。
村年寄 まあ、ええわ。わしゃ芝山の観音さんが、村中を助けて下さるために甚兵衛どんに乗り移ったんじゃと思うとるんじゃ。
茂兵衛 もう、なんぼ嘆いても取り返しがつかんわ。甚兵衛どんに死んでもろうて、その代り、後をようするんじゃ。
名主一 そうじゃ。後で村の神様に祭るんじゃ。
茂兵衛 祭るとも。祭るとも。ほんまに讃岐領の宗五郎様じゃ。義民の鑑《かがみ》じゃ。
村人三 それにな、ほかの人じゃったら、それにつながって、首打たれる親兄弟が、可哀そうじゃがのう。あのおきん婆や甚吉は、あんまり可哀そうじゃないわ。長年甚兵衛どんを苛めた罰じゃと思うと、かえって気色がええわ。
村人四、五 おおそうじゃ。それがあるわ。
村人六 わしはな、甚兵衛どんに食べてもらおうと思うてこななもの持って来たんじゃ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(竹の皮に包んだ握り飯を見せる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
名主 おお、それゃええ思い付きじゃ、甚兵衛どんも飢饉で、ろくなもの食べとらんけに、欣ぶに違いないわ。
村人六 わしゃ、そう思ったけにのう、大事な大事な来年の籾種《もみだね》の中から、三合ばかり飯にたいたのじや。
茂兵衛 おお、それあええことしてくれた。この茂兵衛が礼をいいますぞ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(この時、かなたより群衆のざわめきがきこえる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
村人一、二 ああ来た! 来た!甚兵衛どんが来た。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(群衆、口々に甚兵衛の名を呼びながら、その方へ波を打って動く。やがて、裸馬に乗せられた甚兵衛母子が着く。馬から降りる。群衆の間を過ぎる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
茂兵衛 甚兵衛どん。わしたちは、みんな来ておるぞ。
名主一 わしたちは、みんな陰ながら、拝んどるぞ。
村年寄二 心強う思うて下されや、わしたちはみんな来ておるぞ。
村人たち わしたちは、みんな拝んどるぞ……。お前さんのこと一生涯忘れんぞ。あとでお前さんを神さんに祭るだ。
甚兵衛 (快き微笑を含んで村人たちに会釈する)……。
茂兵衛 甚兵衛どん。わしゃな、百余カ村を駆けずり回って、お前さんの命乞いの訴状に連署してもろうて、お上へ差し上げたんじゃがのう。とうとう、お前さんを、こなにしてしもうたんじゃ。堪忍して下されや、なあ甚兵衛どん。
甚兵衛 なに。ええわ。ええわ。わしゃ皆の衆にそういわれると、うれしいだ。
村人たち (口々に)甚兵衛どん。ありがとう! ありがとう! お礼申すだ。お礼申すだ。快く成仏して下されや。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(甚兵衛、絶えず、にこにこしながら、矢来の中へ入る。おきん及び甚吉続いて現れる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
村年寄一 おきんさん、お前さんも気の毒じゃのう。が、村一統を救うと思うて、死んで下されや。
おきん (憤然として)何ぬかしゃがるんじゃ。皆よってたかって、阿呆をおだて、無実の罪に落して、親兄弟まで、こなな目にあわしておきながら、何ぬかしゃがるんだ。
甚吉 おっ母のいう通りじゃ。わしたちを、こななひどい目にあわしておきながら、ようも見に来られたのう。
おきん 覚えとれ! わしはな、首は飛んでも、七生まで村中へ崇ってやるからなあ!
村人一 何いうだ。みんなわれたちが、人のええ甚兵衛を苛めぬいた罰ではないか。
村人たち そうじゃ! そうじゃ!
おきん 何!(くくられていながら、村人たちに飛びかかろうとする)
縄取りの役人 (縄を引きながら)神妙にいたせ!
おきん (恨めしそうに村人たちに)覚えとれ、よう覚えとれ! 死んだって、恨み晴らしてやるからな。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(おきん母子、刑場の中へ歩み入る。舞台半回り、刑場の内部が見える。磔柱《はりつけばしら》が矢来に立てかけられている。五人の囚人、甚兵衛を先に一列に引き据えられている。刑吏たちが後から入って来る。刑吏の長、床几に腰を掛ける)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
刑吏の長 用意整うておるか。
刑吏一 万事整うておりまする。
刑吏の長 それでは、罪状を読み上げい!
刑吏二 (声高く読み上げる)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]弦打村百姓 甚兵衛
[#ここから3字下げ]
その方儀、去る十三日領内百姓一揆騒動いたし候|砌《みぎり》、右一揆に加担いたし、香東川堤において上役人松野八太夫に投石殺害いたし候始末、不[#レ]恐[#二]御領主を[#一]仕方、不届至極につき、磔申付くる者也。
[#地から1字上げ]同人母 きん
[#地から1字上げ]同人弟 甚吉
[#地から1字上げ]同じく 甚三
[#地から1字上げ]同じく 甚作
その方儀、甚兵衛身寄につき、獄門申付くる者也。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
刑吏の長 最後も近づいたほどに、何ぞ遺言があればきき届けてつかわすぞ。
おきん わしゃ、こななことで、打首になるのは不承知じゃ。なんぼ、お上のなされ方でもあんまりじゃ。あんまりじゃ。
刑吏 この期に及んで、未練を申すな。本人が白状に及びたる上は、縁につながる不幸と諦めておれ!
おきん 何おっしゃるんじゃ。こなな阿呆のいうこと、お取り上げになったりして、あんまりじゃ。きこえんわ。きこえんわ。お上のなされ方がきこえんわ。(甚兵衛に)この阿呆。
甚兵衛 (気がないように笑う)あはははは。
おきん 何がおかしいんじゃ、この阿呆め! 親兄弟をこななひどい目にあわして、この阿呆め!
甚兵衛 はははは。
おきん ええ、この不孝者めが!
刑吏一 騒がしい。控え!
おきん (恨めしそうに黙る)
刑吏の長 甚兵衛! その方はなんぞ遺言はないか。
甚兵衛 (微笑しながら)わしゃ、何もないだ。村の衆が、みんな欣んで下さるけに、わしゃうれしいだ。うれしいだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(その時、村人の六、矢来の中へ駆け入る)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
村人六 お願いでございます。お願いでございます。
刑吏一 なんじゃ。何事じゃ。
村人六 お願いでございます。これを一つ甚兵衛どんに、食べさせて下さりませ。
(竹の皮包の握り飯を出す)
刑吏一 いかが、いたしましょう。
刑吏の長 苦しゅうない。甚兵衛に与えてつかわせ。
刑吏一 (甚兵衛に与えながら)村の衆の志しゃ。快く食べたがよい。
甚兵衛 (無邪気に欣ぶ)ほほう。これわしにくれるか。
刑吏の長 手をゆるめてやり!
(刑吏一、甚兵衛の前腕だけを自由にする)
甚兵衛 ほほう、わしゃ、こなな白い飯生まれて初めてじゃ。これ食べてええか。ぽんまに、食べてもええか。
刑吏一 快く食べるがよい。
甚兵衛 (うまそうに食べながら)おお、わしこななうまい物、食べたことがないぞ。頬っぺたが、落ちそうだ……。ほんまにこななうまい物、食べたことがないだ……(つづけさまに五つ六つ、食べる。ふと母たちに気がつく)……おおおっ母、甚吉! お前たちほしゅうないか。
甚吉 何ぬかしゃがるんじゃ。阿呆め、首の飛ぶ間際にそなな物が喉を通るけ!
おきん ほんまに、この阿呆め! どこまで、親をばかにしやがるんじゃ!
甚兵衛 はあ……そうけ、嫌か。じゃ、わし皆、食べてやろう。ああうまい、うまい、顎が落ちそうじゃ。村の衆ありがとう!
村人たち (口々に)何いうとるんじゃ。よう食べてくれた。こちとらこそ拝んどるぞ。
刑吏の長 申し置くことがなければ、母と弟どもを最期の座へ直せ。
おきん (慌てて)ちょっと待って下されませ。お願いでござりまする。
刑吏の長 何じゃ。
おきん 死際のお願いでござりまする。どうぞ、この親不孝者を、先へ突いて殺して下されませ。せめてもの腹|癒《い》せに、不孝者が、磔柱の上で、苦しむのを見せて下さりませ。
村人たち (口々におきんを罵る)……何をいう鬼婆め……お前の方から先に死んでしまえ……。
刑吏の長 折角の願いじゃが、聞き届けることはまかりならぬ。かような場合、重科の者を後にするのが定法じゃ。それその者たちを、あれへ引き据えい!
おきん ええ口惜しい。こいつが、突かれるのが見られないのか。
刑吏三 ええ。やかましい! 神妙にあれへ直れ!
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(刑吏たち、母子四人を上手の方へ連れ去ってしまう。首斬役、刀を抜いてその後に従う)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
甚兵衛 (微笑を含んで、その後から見送る)おっ母も甚吉も先へゆくのか。長い間、わしを苛めてくれてありがとう。ありがとう。あはははは。
(首を斬る掛け声、太刀音、つづいてきこえる。見物どよめいて声を上げる)
甚兵衛 (顔色、やや蒼白になったが、笑いを絶たない)あはははは、わしゃ、胸がすっとしただ。わしをな二十何年も苛めぬいたおっ母も、甚吉
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング