恐い。恐い。
首領の一人 臆病者め! 恐がることはない。一揆の人数は綾郡宇多郡を合せて、五万三千人じゃ、なんの恐いことがあるものか。
おきん うんと叱ってもらいたいでのう。これは生れつきの臆病者でな。(甚兵衛に)さあ、しゃんとして行って来い。この方々について行くと、白い飯が、なんぼでも食べられるぞ。
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(甚兵衛、その言葉に少しく元気づき、三、四歩歩く)
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首領の他の一人 その者は、不具者《かたわもの》じゃないか。
おきん なんの不具者でもな、山や野良の働きは人一倍でな。他人の二倍もの仕事しまするでな。ちんば引いても走るのは、人一倍じゃぞな。
勘五郎 おきんさん、甚吉は、どうしただ。
おきん さっきもいうたじゃないか。御城下へ松葉売りに行ってな、まだ帰って来んのう。
首領の一人 不具者でもよい。詮議していては手間どる! さあ、次の家へ案内されい。
勘五郎 さあ、こちらへおいでなさい。
首領の他の一人 (甚兵衡に)後からついて来い。ははははは、山本勘介というちんばの軍師が昔あった。お前もうんと働いてくれ、はははは。その代り、白い飯でもなんでも食わしてやるぞ。(歩き出す)
甚兵衛 (やや遅れて恨めしげに)わしを打首にするつもりかの。
おきん 何をいうだ! お前に、たんと、白い飯を食わしてやりたいのじゃ。はようとっととついて行け!
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(甚兵衛、愚鈍な顔にも、母親を恨めしげに見返りながら、竹槍を杖について、よたよたと出てゆく。おきん、胸を撫で下しながら、後を見送っている。兄弟三人、奥の問から出て母親の後へ、そっと忍んでくる)
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甚吉 おっ母!
おきん おおびっくりした。
甚三 うまくやったなあ、おっ母。
おきん ははははは。
甚吉 ほんまにうまくやったの。あの不具者が、竹槍をついて、ちんば引き引きついて行くのを考えると、吹き出したくなるのう。
おきん あはははは。あの不具者も、二十九になるまで養うてやった甲斐があったのう。思わん役に立ったわ。この一揆で御年貢は御免になるわ。米もやすくなるわ。わちとら親子は高処《たかみ》から一揆を見物しているわ。ああうまいことした。甚作、厄逃れのお祝いに、神棚へお灯明であげいよ。
甚作 一揆の大将がいうとった。昔山本勘介いうて、えらい軍師があったというてのう。けどおっ母の方が、もっと偉い軍師じゃのう。
おきん どうじゃ。年が寄っても、こななものじゃ。ははははは。
兄弟三人 あはははは。
甚吉 あの不具者め。あははははは。
親子四人 あははははははははは。
[#地から1字上げ]――幕――
第二幕
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第一幕より、十日ばかりを経たるある日の夜、弦打村庄屋茂兵衛の家の広間。村人たち縁側にも庭にも満ちている。座敷には、ところどころに百目蝋燭が燃えている。庭には、篝火が三カ所ばかりに焚かれている。人数の割合に静粛である。みんな不安と恐怖とに囚われているのがわかる。
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村年寄甲 (縁側に立って見回しながら)もう皆集ったかのう、本津《もとつ》の吾作は来たか。
村人一 来ただ。ここに来ているぞ。
村年寄甲 新田の新吉は見えんのう。
村人二 まだ来とらんが、さっき来るときに誘うとな、山へ行っとるけに、帰ったらすぐよこせるいうたぞ、嬶《かか》が。
村年寄乙 上笠居の甚兵衛が、見えんぞな。
村人三 うん。甚兵衛どんが、来とらん。
村人四 あなな気の毒な人、来いでもええじゃないか。
村人五 また、あなな阿呆来たとて、しようがない。
村人六 阿呆阿呆いうない。少し阿呆じゃけになお可哀そうじゃないか。
村人七 そうじゃ。阿呆じゃけど、ええ人じゃ。義母や兄弟たちに苛《いじ》められるので、いよいよ阿呆になるんじゃ。
村人六 そうじゃとも、長い間、苛めぬかれたでのう。家や田畑は、弟に取られるしな、食物もろくろく食わせらんし、なんぞ口答えすると、弟三人がよってたかって殴《ぶ》ち打擲《ちょうちゃく》するんじゃもの。
村人五 けど、阿呆じゃもの、しようがないわ。
村人六 阿呆でも、長男は長男じゃものな。
村人八 死んだ甚七は、あまりおきん婆に甘かったから、いかんのじゃ。
村人六 そうじゃ。死んだ爺《じじい》もわるいんじゃ。だがのう今度の一揆にやってあのおきん婆の仕打ちはどうじゃ。足腰のたっしゃな息子が三人もあるのにな。自分の息子は出さんでな。常日頃、苛めぬいとる甚兵衛どんを出すんじゃものな。
村人七、八、四 そうじゃ。そうじゃ。ひどい仕打ちじゃ。
村人六 わしゃ、何も知らん甚兵衛どんが、竹槍杖ついて、ちんば引き引きついて来るのを見ると、涙がこぼれたぞな。
村人七 俺《おら》も、可哀相で見ておられなんだぞ。勘五郎どん、お前どうしただ。お前が一揆の大将を、甚兵衛どんの家へ案内したいうじゃないか。なんで、この家には、足腰のたっしゃな若い者が三人もいると、いってやらんのじゃ。
勘五郎 そら、後から気のつくことじゃ。わしも、竹槍を差しつけられて案内しとるんじゃろう。命がけじゃないか。早う、案内役を逃げたい思う一心で、何でも早う済めばよいと、思うとったけにのう。
村人七 ほんとうに、あのおきん婆、一揆の大将に頼んで、突き殺してもらいたかったのう。
村人四、六、八 ほんまじゃ。ほんまじゃ。
村人七 考えても、腹が立つでのう。
勘五郎 だが、庄屋どんや名主どんは遅いのう。
村年寄甲 なんぞ、難儀なことになっとるかも知れんぞう。
村年寄乙 松野八太夫様が、馬から落ちくぜた所が、もう半丁も向うだとよかったんじゃ。あすこの地蔵堂の所が、村境じゃけにな。ほんの半丁ぐらいの違いで、この村に難儀がかかるんじゃ。
村人八 お上も、無理じゃないか。郡奉行様が一揆に殺されたのが弦打村の地境の内だからというて、弦打村から下手人を出せというて、あんまり聞えんじゃないか。
村年寄乙 じゃけど、そうでもせな、下手人が出んのじゃ。下手人が出んと、お上の御威光にかかるけにな。
村人六 えらい、災難じゃのう。
勘五郎 ええことは、二つないわ。一揆のおかげで御年貢御免になったかと思うと、すぐこなな無理な御詮議じゃ。一昨日《おととい》、御坊川で一揆の発頭人も磔になったというから、下手人が出たら磔は逃れんのう。
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(一座、しんとしてしまう。その時甚兵衛が、末弟の甚作と一緒に来る)
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村人七 ああ甚兵衛どんが来た。甚兵衛どんが来た。
村人四 相変らず、にこにこしとるわい。あの人は、他人には、いつも愛想がええわ。
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(甚兵衛、蒼白な顔に微笑を堪《たた》え、皆にぺこぺこ頭を下げて、隅の方へ座る)
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村人八 甚兵衛どん。遅かったのう。
甚兵衛 (黙ってうなずく)……。
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(甚作、甚兵衛に寄り添うて座ろうとする)
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村人七 甚作、わりゃ、何しに来ただ。
甚作 おっ母が、ついて行けいうけに。
村人七 何やって、おっ母がそんなことをいうんじゃ。今日の集りは、一揆について行ったものだけの集りじゃぞ。
甚作 じゃけどもな、おっ母が、兄やは少し足らんけにな、寄合の席へやこし、一人でやるのは、心元ないいうけにな。
村人七 えろう、勝手なこと、いいやがるやつじゃのう。そなな心もとない甚兵衛を、どうしてまた、一揆にやこし一人で出したんじゃ。あんまり、得手勝手なことをしていると天罰が恐ろしいぞと、おっ母にいってやれ。
甚作 (言葉もなく黙してしまう)……。
勘五郎 ほんまじゃ。おっ母にな、少しいってやれよ。あんまりひどいことをするとな、人間がゆるしても、神様が許さんていうてな。
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(甚作は、顔を赧《あか》らめて、さしうつむいてしまう。甚兵衛はにこにこ笑っている)
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村人九 ああ、街道筋に提灯が見えるぞう。庄屋どんたちが、帰ったんじゃ。
村人十 おお見える。迎えに行こう。
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(一座緊張して、待っている。やがて、迎えに行った村人が、悄然として帰って来る。それに続いて庄屋と名主とが銘々手錠を入れられ、郡奉行の役人たちに守られて、首をうなだれて帰って来る。一座仰天する)
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村人たち (口々に)どうしたんじゃ。どななおとがめでそなな目におうたんじゃ。
村年寄甲 茂兵衛様、一体これはどうしたんじゃ。
茂兵衛 子細はあとでお話しする。まず、おしずまり下さい。
村年寄甲 おおしずまるとも。皆静かにせ。村の一大事じゃけに、みんな静かにしてくれ。
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(村年寄たち、庄屋を庇うて、座敷へ上げ、郡奉行の役人たちを案内する。庄屋正面へ出る。村人たち、水を打ったように静かになる)
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茂兵衛 (老眼をしばたたき一座を見回しながら)かような姿で、御一統にお目にかかり面目のうござる。
村人一 なんのそなな斟酌がいるもんけ。村のために、そなな身にならしゃったことはわかっているでな!
村人たち ほんまじゃ。ほんまじゃ。そなな会釈はいらんぞっ! それよりも早う、話しとくれ。
村年寄甲 しっ、静かに。
茂兵衛 そういわれては、なおさら面目ない。わしらの申し開き拙いによって、かように村中一統の難儀になったのじゃ。
村人一 庄屋どん、そななことよりも、今日の首尾、その手錠の子細を早う話してくれ! 気にかかってしようがないわ。
茂兵衛 そう、おせきなさるな。話すなというても、話さずにはおられんことじゃ。実はな今日新郡奉行|筧《かけい》左太夫様のお役宅へ出たのじゃ。ところが、御奉行様の仰せらるるには、お上が今度の一揆に対しての御沙汰は恩威並びに行うという御趣意じゃと、こう仰せられるのじゃ。それでな、年貢米は、嘆願によって免除する代りに、一揆の発頭人は、一昨日御坊川で磔にした。また、松野八太夫様に礫《つぶて》を打った下手人は、草を分けても詮議するとこう仰せられるのじゃ。
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(一座から激しく嘆息がきこえる)
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それでな、御奉行様の仰せらるるには、一揆が香東川の堤にさしかかった時は、弦打村の百姓が、真っ先だろうとおっしゃるのじゃ。
村人たち (口々に)それや、嘘じゃ……なんぼ奉行様の仰せでも、それは間違うとる。大間違いじゃ。……大間違いじゃ。
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(村人たち口々に打ち消す)
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茂兵衛 まあ! 黙って聞いて下され。一揆の発頭人たちが、そう白状したと御奉行様が仰せられているのじゃ。
村人たち (銘々嘆息する)……。
茂兵衛 それにな。何より悪いことは、松野様が落馬あそばした所が、地蔵堂の手前で、まぎれものう弦打村の境内《さかいうち》じゃ。御奉行様もいわれるのじゃ。弦打村の者が先手にいたといい、松野どのの果てられたところが、村の境内といい、嫌疑がその方たちに懸るのを不祥と諦めいとこう仰せられるのじゃ。それでな、御奉行様内々の仰せでは、村中で
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