長男じゃけにな、みんなわれの物じゃいうて。
甚吉 (激しくこづき回しながら)不具者《かたわもの》のくせに何いうだ。爺さんが、生きていたときに、庄屋様に願うて家屋敷とも俺の物になっているのだ。われは牛小屋でくすぶってりゃいいんだ。不具者のくせに、出しゃばるなよ。(激しくこづき回す)
甚兵衛 (激怒し)おっ母と兄弟三人とで共謀しやがって、長男のわしの物をみんな取っているのだぞ。この家《うち》の縁の下の塵までわしの物じゃ。
甚吉 何を、阿呆くさいことをいいやがるんじゃ。
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(さらに激しく、こづき回す。甚兵衛、こづかれながら手を振り上げて、甚吉の顔を殴《う》つ)
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甚吉 おのれ、殴《ぶ》ちゃがったな。
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(二人激しく格闘す。甚兵衛も、絶えず圧迫されながら、抵抗をつづける。そこへ母と一緒に兄弟二人帰ってくる)
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甚三 吉兄い。どうしたんじゃ。
甚吉 (甚兵衛を押えながら)この不具者めがな、今鍋の大根を、盗んで食うていやがるんじゃ。それでな俺が怒鳴りつけるとな、俺に食ってかかりゃがってな、俺の顔を殴ちゃがったんじゃ。
おきん 本当けい。この阿呆のど不具《かたわ》め。大根やこしお前の口へ入るものじゃねえだぞ。お前なんかに、粟の飯一杯も惜しいけどな、同じ人間の皮|被《か》ぶってるけにな、毎日一杯ずつ恵んでやっとるんじゃ。それを有難いとも思わんでようもようも盗み食いしやがった。吉、根性骨にしみるほどどやしつけてやれ。
甚三 おっ母、昨日畑の大根取ったのもこいつかも知れんぞな。
おきん そうじゃ。そうじゃ。それに違いない。みんなして、牛小屋の中へ追い込んでな。
甚兵衛 (まったく抵抗力を失いながら)なんぼ不具じゃとて長男の俺を牛小屋へ住わせて、粟の飯たった一杯ずつあてごうて……。
おきん 何いうぞ。この飢饉の時節に、粟の飯一杯じゃとて、惜しいぞ。吉、その頬げた一つひねってやれ。
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(甚吉は、いわれた通りにする)
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甚兵衛 ああ痛い! 痛い!
おきん さあ、皆して、放《ほお》り込んでしまえ! これからは、粟の飯ももったいないや。水だけでたくさんじゃ。
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(三人は、母にいわれたごとく甚兵衛を手込めにして、牛小屋へ入れる)
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甚兵衛 どうするだ! 何するだ! われたち! この兄をどうするだ!
甚吉 何が、兄だい! われのような不具の阿呆を誰が兄に持つものけ。
甚兵衛 どうするだ! どうするだ!
甚三 (次兄に加勢しながら)ええ、黙って、この中にすっこんでおれ!
甚作 (同じく手を貸して、担ぎ上げながら、二人の兄のよりは、やや優しく)盗み食いやこしするけに、こなな目にあうのじゃ。おとなしゅう、小屋の中へ入っているがええぞ。
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(三人、※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いている甚兵衛を、牛小屋の中へ担ぎ込んでしまう)
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甚兵衛 何するだ! どうするだ。(叫びながら、担ぎ込まれる)
おきん 出られないように戸を閉めて、しんばり棒、こうとけ。明日から粟の飯一杯もやらんぞ。(やや声を低めて)今時、死んだとて、誰も不思議がりゃせんわい。
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(甚吉、戸を閉め、棒を探してきて、しんばり棒をかう。この前より、周囲がようやく暗くなり始める)
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おきん 吉、きいたか。綾郡に一揆が起ったということを。
甚吉 きいたとも。御城下でえらい騒ぎじゃ。香東川の堤で、早馬に二度も行き会うたぞ。
おきん それでのう、御城下に押し寄せる道筋じゃけに、この村へも追っつけ来るでのう、加担するか加担せんか評議するためにのう、八幡様で暮六つから集りがあるから来いいうてな、勘五郎どんが、ふれて来たぞ。
甚吉 一揆の加担人《かとうど》か。こんな時、下手まごつくと首が飛ぶし、それかというて、後込《しりご》みしとると一揆からひどい目にあうしのう。
おきん とにかく、行って来るがええぞ。それでのう、身をたしなんで、出しゃばらんがええぞ。先ばしりしてわしに心配させるでねえぞ!
甚吉 じゃ、ぼつぼつ行こうか。
おきん 飯食うてからにせい。評定が、長びくかも知れんけに。
甚吉 ああ、ど不具めと、取り組み合うて、えらいことお腹を空かせたぞ。
おきん (台所へ入り、鍋の蓋を開けて見て)あの阿呆め! 三切れも、食いやがった。われらに、一切れずつやろう思っていたら、当らんようになったぞ。
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(兄弟三人、台所に腰をかけ、粟飯を茶碗に盛りながら、大根を鍋よりはさみ出しながら食う)
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甚三 一揆も、やっているときは、景気がええがのう。後でまた、磔《はりつけ》や打首が二、三十人はあるべい。
おきん 触らぬ神に、崇りなしじゃ。なるべくなら、誰も出んで済むとええがのう。
甚作 そうもなるまい。村で加担するとなると、家では若い者が揃っとるけにのう、一人二人は出ねばなるまい。
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(この前より、周囲がほの明るく騒がしくなる。遠方が、火事でもあるように明るくなる。雑音がだんだん高くなる。遠い寺の鐘が鳴り始める)
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甚作 (駆け出しながら)なんやろう。なんやろう。火事かしら。向うが真っ赤じゃ。
甚吉 ええ、なんじゃと。(出てくる)ほほう。赤いな。どうしたんじゃろう。どこぞで火事を出したのか知らん。
おきん ええ、火事じゃと。(出てくる)
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(甚三も出てくる。親子四人とも、遠方を見て、不安に襲われる。寺の鐘激しく鳴る。牛小屋の戸がガタガタ動く)
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甚兵衛の声 開けてくれ! 開けてくれ!
甚吉 阿呆め! お前は、そこですっこんでおれば、ええじゃ。
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(村中が、ますます明るくなる。人声が嵐のように高まってくる。犬がけたたましく吠える。寺の鐘が殷々《いんいん》と鳴る。甚作駆け出す。やがて帰ってくる)
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甚作 (蒼くなって、帰ってくる)えらいこっちゃ! えらいこっちゃ。街道筋は一面の炬火《たいまつ》じゃ。
甚吉 え、なんじゃと。
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(このとき、「一揆じゃ! 一揆じゃ! 一揆が来たぞ!」という、叫びが遠く近く聞えてくる)
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おきん ああとうとう、来たんじゃのう。恐ろしいことになったのう。
甚三 御城下を、夜討ちにするじゃのう。
おきん まさか、こちとらに、仇はしやすまいのう。
甚吉 何、そなな心配があるもんか。一揆はこちとらの味方じゃないか。
おきん われら、みんな隠れとれ! 加担人させられたら、後が難儀じゃけに。
甚吉 まだ、ええ。まだ、ええ。こっちへ来るのには間がある。
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(このとき、村人の一人、あわただしく駆けてくる)
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甚吉 おおわれや、藤作じゃねえか。
藤作 おお。この村も、加担じゃぞ。ええか。一軒で一人ずつ、人数を出すんじゃぞ。ええか。炬火《たいまつ》と竹槍とを用意しとげ。ええか。後から、一揆の統領が回って来るけにな。
甚吉 (蒼白になりながら)合点じゃ。
藤作 加担の村が、二百十二カ村になったぞ。夜更けにお城下へ押し寄せて、御家老たちの家を叩き壊すいうとるぞ。はよう、用意せい。ええか。わかったか。
甚吉 わかった。わかった。
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(藤作、駆け去る)
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おきん (狼狽しながら)どうしよう。どうしよう。
甚吉 仕方がねえ。わし行くぞ。
おきん 阿呆いうな。後嗣《あとつぎ》のお前に万一のことがあったらどうするんじゃ。われは行くんじゃねえ。
甚三 兄貴は、家にいるがええ。わしが行くだ。わしが。
おきん われも行くでねえ。加担して、後で打首にでもなったら、どうするだ。
甚三 そなな心配がいるもんけ。何万という人数じゃもの。ただついて行っただけで打首になんか、なって堪るけい。
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(急に炬火の火が近づいてくる。一揆らが近づいてきた物音がきこえる。寺の鐘、段々と鳴りつづける)
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おきん こちらへ来るだ。こちらへ来るだ。われら、みんな隠れとれ。おっ母が、ええようにするだ。わしに委しとけ。わしが、ええようにするだ。わしが、われら、誰も行かんでええようにするけに。
甚吉 阿呆いうな! おっ母のような年寄、委しとけるけ。
おきん ええ、黙っとれ、お前らは。入っとれいうたら、入っとれ。入っとれ。
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(おきん、息子たち三人を押し込むように、奥に入れる。そして、台所へ行く。出刃包丁を持って、母屋と牛小屋の間から奥底へ行くと、炬火の薪と手頃の竹竿を持って出てくる。先端を、出刃でとがらせる。それから、牛小屋の戸のしんばり棒をはずす。このとき、覆面をし手槍を持った一揆の首領二人、炬火を持った多くの一揆に囲まれながら、出てくる。村人勘五郎が、案内している)
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勘五郎 (首領に)へえ。この家にも男手が、ございまする。
首領の一人 わしは、綾郡さる村に住む郷士じゃ。今度諸人助けのために、御年貢米御免の嘆願の一揆を起した者じゃ。同心か不同心か、どちらじゃ。同心するにおいては道々、所々在々の大百姓の家を叩き壊して、金銀米穀を分けてやる。
他の一人 同心なら、同心の印に加担人一人を出せ。不同心ならすぐこの家を叩き壊す。その方たちを打ち殺す。どちらじゃ。
おきん (震えながら)へえい、へえい。同心でございますとも。わしたち小百姓には、救いの神様でござります。ありがとうございます。おありがとうございます。加担人を出しますとも。(牛小屋の前へ進み戸を開ける)おお、甚兵衛、お前、そなな所へ隠れていないで出てこいや。何も恐いことありゃせん。わしたちの難渋を救うて下さる神様じゃ。早う出てこい。
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(甚兵衛の手を掴んで引きずり出す)
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おきん さあ! これを持ってな。このお方たちの後からついて行け!
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(竹槍と炬火を渡す)
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甚兵衛 わしは恐い。わしは恐い。
おきん 何をいうぞ。お前、ぐずぐずいうたら、竹槍で突き殺されるぞ。(竹槍を強いて押し付けながら)はよう、しっかり持たんけいな。
甚兵衛 わしゃ
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