物音がする。やがて、この家の長男の甚兵衛が、そこから現れる。つぎはぎした膝までしか来ない着物を着ている。憔悴している。右脚はなはだしく短く、ちんばを引く。ひそかに周囲を見回したる後、台所に忍び寄り、鍋の蓋を開け、まだ半煮えの大根を、がつがつ貪り食う。しばらくすると、背負籠を肩にしたる次男甚吉、表から帰って来る。兄が大根を食っているのを見つける)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
甚吉 何するだ! この泥棒猫め!
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから4字下げ]
(兄の襟筋を掴み引きずり出す)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
甚兵衛 (やや愚鈍らしく)われこそ何するだ! 何するだ!
甚吉 おのれ、おっ母の目を掠《かす》めて盗み食いをしやがる。われに、大根を食わせてたまるけ。
甚兵衛 わしやて、大根食いたいだ。この大根作ったのは俺じゃ。
甚吉 何を世迷言いうだ。作ったのは、われでもな、この家《うち》や、畑はおれの物じゃぞ。この畑にできるものはみんな俺の物じゃぞ。
甚兵衛 何いうだ。新田の藤兵衛伯父がいうた。われは
前へ 次へ
全52ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング