長 手をゆるめてやり!
(刑吏一、甚兵衛の前腕だけを自由にする)
甚兵衛 ほほう、わしゃ、こなな白い飯生まれて初めてじゃ。これ食べてええか。ぽんまに、食べてもええか。
刑吏一 快く食べるがよい。
甚兵衛 (うまそうに食べながら)おお、わしこななうまい物、食べたことがないぞ。頬っぺたが、落ちそうだ……。ほんまにこななうまい物、食べたことがないだ……(つづけさまに五つ六つ、食べる。ふと母たちに気がつく)……おおおっ母、甚吉! お前たちほしゅうないか。
甚吉 何ぬかしゃがるんじゃ。阿呆め、首の飛ぶ間際にそなな物が喉を通るけ!
おきん ほんまに、この阿呆め! どこまで、親をばかにしやがるんじゃ!
甚兵衛 はあ……そうけ、嫌か。じゃ、わし皆、食べてやろう。ああうまい、うまい、顎が落ちそうじゃ。村の衆ありがとう!
村人たち (口々に)何いうとるんじゃ。よう食べてくれた。こちとらこそ拝んどるぞ。
刑吏の長 申し置くことがなければ、母と弟どもを最期の座へ直せ。
おきん (慌てて)ちょっと待って下されませ。お願いでござりまする。
刑吏の長 何じゃ。
おきん 死際のお願いでござりまする。どうぞ、この親不孝者を、先へ突いて殺して下されませ。せめてもの腹|癒《い》せに、不孝者が、磔柱の上で、苦しむのを見せて下さりませ。
村人たち (口々におきんを罵る)……何をいう鬼婆め……お前の方から先に死んでしまえ……。
刑吏の長 折角の願いじゃが、聞き届けることはまかりならぬ。かような場合、重科の者を後にするのが定法じゃ。それその者たちを、あれへ引き据えい!
おきん ええ口惜しい。こいつが、突かれるのが見られないのか。
刑吏三 ええ。やかましい! 神妙にあれへ直れ!
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(刑吏たち、母子四人を上手の方へ連れ去ってしまう。首斬役、刀を抜いてその後に従う)
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甚兵衛 (微笑を含んで、その後から見送る)おっ母も甚吉も先へゆくのか。長い間、わしを苛めてくれてありがとう。ありがとう。あはははは。
(首を斬る掛け声、太刀音、つづいてきこえる。見物どよめいて声を上げる)
甚兵衛 (顔色、やや蒼白になったが、笑いを絶たない)あはははは、わしゃ、胸がすっとしただ。わしをな二十何年も苛めぬいたおっ母も、甚吉
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