で厳《いか》めしく見えた。エイギュイユ(針)というこの城の名は、きっとこうした形からついたものであろう。窓という窓は灯影もなく、しーんと静まりかえっている[#「かえっている」は底本「かえている」]。
「左手の川に向った窓が少し壊れているはずです。外からでも開けられると思います。」とバルメラ男爵がいった。
二人がそこへ着いて窓を開けると、バルメラ男爵のいった通り、その戸は何でもなく開いた。二人は露台を乗り越えて城の中へ入ることが出来た。
二人は手を繋ぎ合って廊下を探り探り伝わって、側にいるお互の足音さえも聞えないほどに気を付けて進んだ。大広間の方へ進んでいく時、向うの方にかすかな灯りが点いているのが見えた。バルメラ男爵は恐る恐る窺ってみると、一人の番人が立って銃を負《しょ》っている。
夜番の男は二人を見たのであろうか、きっと見たに違いない、何か怪しいと思ったから銃をかついだのに違いない。
ボートルレは植木鉢の蔭に身を屈めて隠れたが胸が、どきどきとはげしく波打っている。夜番の男は何も物音がしないので銃を下においた。しかしなおも怪しんでこちらの方に頭を差し出している。ボートルレの額から冷汗《ひやあせ》がぽたりぽたりと落ちると、番人はランプを持ってこちらへ近づいてくるらしく、光が自分の方に動いてくる。
ボートルレはバルメラ男爵に縋ろうとしてふと見ると、驚いたことにはバルメラ男爵は、闇黒《くらがり》を忍び忍び先へ進んでいる。しかも番人の男のすぐ近くまで進んでいっている。
ふいにバルメラ男爵の姿が消えたと思うと、突然一個の黒い影が夜番の男の上におどり掛った。ランプが消えた。格闘の音がする。二つの黒い影が床の上に転がった。ボートルレがはっと跳ね上って近よろうとすると、一声の唸《うめ》き声が起った。一人の男が立ち上って少年の腕を握った。
「早く……行こう。」
それはバルメラ男爵であった。
開かれた城の門
二人は二つの階子《はしご》をのぼった。「[#「「」は底本では欠落]右へ……左側の四番目の部屋。」とバルメラ男爵が囁く。
二人はすぐにその部屋を見つけた。少年の望みは今遂げられた。父はこの扉一枚の中に閉じ込められているのだ。ボートルレはしばらく掛ってその鍵を破り、室屋《へや》の中へ入った。少年は手探りで父の寝台へ進んだ。父は安らかに眠っている。少年は静かに父を呼んだ。
「お父様……、お父……僕です、ボートルレです。早く起きて下さい、静かに静かに……」
父は急いで着物を着て、部屋を出ようとする時、低い声で囁いた。
「この城の中に閉じ込められているのは私ばかりではない……」
「ああ、誰?ガニマール?ショルムス?」
「いいえ、そんな人は見たことがない。若い令嬢だ、」
「ああ、レイモンド嬢です、きっと。どの部屋にいらっしゃるか知っていますか。」
「この廊下の右側の三番目。」
「青い部屋です。」とバルメラ男爵がいった。
すぐに扉を破り、レイモンド嬢は救い出された。
みんなは元の小門へ出て、学生たちの張番《はりばん》しているのと一緒になり、無事に古城から逃れ出ることが出来た。
ボートルレは宿へ着くと、種々《いろいろ》とルパンのことを父や令嬢に尋ねた。その話によると、ルパンは三四日目ごとに来て、父と令嬢の部屋を必ず訪ねた。その時のルパンは優しく叮嚀であった。ボートルレとバルメラ男爵が城へ忍び込んだ時には、ちょうどルパンはいなかった[#「いなかった」は底本では「いかなった」]。
ボートルレは早速警察へ古城のことを報告した。警察からはたくさんの警官が古城へ向った。ボートルレとバルメラ男爵はその案内役になった。
遅かった!正門は真一文字に開かれて、城の中に残っているものはいくつかの台所道具ぐらいであった。
ああ、ボートルレ少年はとうとう勝った。レイモンド嬢は救い出され、ボートルレの父もまた救い出された。しかもエイギュイユ(針)の秘密は明らかになった。
一少年はとうとうルパンに勝った。巨人ルパンもボートルレ少年には兜をぬがなければならなかった。ボートルレは父とレイモンド嬢を連れて、ジェーブル伯とシュザンヌ嬢とがいる別荘へ出掛けた。二三日経つとバルメラ男爵が母を連れて遊びに来た。こうして心から親しみ合っている人々が、平和な日をその別荘に送った。
戦勝の祝
十月の初めにボートルレはまた学校へ帰って勉強を始めた。
こうしてもう何事もなくこのまま静かにすごされるであろうか?ルパンとの闘いはもうこれでお終いになったのであろうか?
ルパンはもうあきらめてしまったものか、自分が誘拐した二人の探偵、ガニマールとショルムスをまた送り返してきた。それはある朝であった。二人の名探偵は手足を縛られて眠り薬を飲まされ、警察の前に捨てられてあった。それを通り掛りの紙屑拾いに拾われたのであった。八週間ばかりの間二人は全く眠ったままであった。やっと考えがはっきりしてから、その話すところによれば、
二人は汽船に乗せられて、アフリカ近くを見物して歩いたそうだ。しかし二人は捨てられた時のことは何にも知らなかった。
それからまたまもなく、ルパンの負けたことがもっとはっきりする事件が起った。それはバルメラ男爵とレイモンド嬢とが結婚することになったことである。世間の人たちは、ルパンがきっと黙ってはいないであろうと思って心配した。果して怪しい男が二度三度別荘のまわりをうろついていた。ある夕方、バルメラ男爵は一人の酔っぱらいに突き当られて、あ!と思う間にどんと一発のピストルで撃たれた。幸《さいわい》なことに弾丸《たま》はバルメラ男爵の帽子に穴をあけただけであった[#「であった」は底本では「あでった」]。そしてとうとうバルメラ男爵とレイモンド嬢は無事に結婚式を挙げた。ルパンが結婚したいと望んでいたレイモンド嬢は、バルメラ男爵夫人となった。
もはや、何から何までルパンの負けとなった。それだけにまた一方ボートルレ少年の勝利は大変なものである。
ある日ボートルレ少年の勝利の祝が開かれた。我も我もとその祝の会に集まったものは三百人以上であった。十七歳の少年は今日は凱旋将軍であった。ボートルレの得意と喜《よろこび》はどんなであったろう。
しかし少英雄ボートルレは、やはり平常の無邪気なボートルレであった。少年は決して自分の勝利を自慢するような風をしなかった。しかし人々の少年を褒める言葉は大変なものであった。ジェーブル伯爵や、ボートルレのお父さんや、またバルメラ男爵なども、少年のこの祝の会に来ていて共に喜んでいた。
ところが、突然にこの少年の勝利が破られてしまうようなことが起った。会場の片隅がにわかに騒がしくなって、一枚の新聞を振り廻している。新聞は人々の手から手に渡って、それを読む人は、みな驚きの声を上げている。
「読みたまえ!読みたまえ!」と向う側で叫ぶ。
ボートルレ少年の父がその新聞を受けとって少年に渡した。
少年は、人々をこんなに驚かせることは何であろうと思い、新聞を声高く読み始めた。しかしその声はだんだんと読んでいくうちに怪しく[#「怪しく」は底本では「怪くし」]乱れて慄えてきた。そのはずであった。少年が苦心した結果、エイギュイユ城が発見されて、紙片《かみきれ》の謎は解けたと思っていたのに、エイギュイユの秘密は、少年の考とはまるっきり違い、少年の勝利は間違ったものとなったのである。巨人ルパンはやはり少年に負けたのではなかった。ルパンはどこかで少年を嘲笑っていることであろう。
その新聞の記事は、マッシバンという文学博士が書いたものである。博士は歴史の書物を読んでいるうちに、思い掛けなく「エイギュイユ・クリューズ」の秘密は大昔に起ったものであることを発見したのであった。
それは仏蘭西《フランス》国王ルイ十四世の時であった。(今から二百四十年ばかり前)ある日名も知らぬ立派な青年が宮殿へ来て、重だった大臣たちに一冊ずつ小さな本を渡し始めた。その本の題は「エイギュイユ・クリューズの秘密」としてあった。ようやく四冊だけ配り終った時、一人の大尉が来てその青年を国王の前に連れていき、すぐさま、先ほど配られた四冊の本はとりあげられ、残りの百冊ばかりの本も全部とりおさえられた。そして厳重にその数を調べて、国王だけがその一冊を残しておおきになり、他はみんな国王の眼の前で火の中にくべられてしまった。そして本を配った青年は、鉄の面を被《き》せられて、一生寂しい島の牢屋に閉じ込められた。
その青年を国王の目の前に連れてきた大尉は、その本が焼かれる時、ふと国王が傍見《わきみ》せられた隙に、手早く火の中から一冊を抜きとって懐中《ふところ》へ隠した。しかしその大尉もまもなく町の真中に死骸となって横たわった。その時大尉の服のポケットの中に、立派な珍しいダイヤモンドが入っていた。
エイギュイユ・クリューズの秘密は仏蘭西《フランス》国家に伝わる一大秘密なのであった。代々国王がお亡くなりになった時にはきっと「仏蘭西《フランス》国王に与える」という封をした一冊の本が枕元においてあった。この秘密こそ仏王《ふつおう》に伝わる巨万の宝物《ほうもつ》の隠してある場所を教えてあるものなのであった。
その後百年ばかりすぎて、大革命の時|獄屋《ごくや》に閉じ込められた仏王ルイ十六世は、ある日密かにその番人の士官に頼まれた。
「士官よ、……私がもし亡くなったならば、どうぞこの紙片《かみきれ》を我が女王に渡してくれよ。エイギュイユの秘密であるといえば、女王はすぐに分るであろう。」
そして一冊の本の暗号を写した一枚の紙片《かみきれ》を四つ折りにして封をし、それをその士官に渡された。そしてその一冊の本は焼き捨ててしまわれた。
その士官は、ルイ十六世が断頭台にのぼせられてお亡くなりになった後、その紙片《かみきれ》を女王マリー・アントワネットにお渡《わたし》した。しかしその時はもはやその巨万の宝物《ほうもつ》は何にもならなかった。女王は「遅かった。」とかすかに呟かれた。そしてその紙片《かみきれ》を読んでいられた聖書の表書《ひょうし》と覆いの間に隠された。そして女王もまもなくまた断頭台の上で亡くなられた。
その後になって、クリューズ河のほとりで針のように尖った屋根のある城が発見せられた。それはエイギュイユ城という名であった。そしてその城はあの百冊の本を焼かれたルイ十四世が命令して築かれたものであった。このことをよく考え合せてみると、ルイ十四世は国家の大秘密が知れ渡ることを気づかわれて、エイギュイユという城をつくって、エイギュイユ・クリューズ[#「クリューズ」は底本では「クリーュズ」]の秘密はこの城であるかのように見せかけようと思われたのであった。王のこの策略は見事に当った。
そして二百年以上経った今、ボートルレ少年はその策略に掛ったのである。
なおまた博士はいっている。きっとこのエイギュイユの秘密をかのルパンは知っているのであろう。そしてまたボートルレ少年の考えを欺くために、エイギュイユ城を借りていたものであろう。仏蘭西《フランス》国家の一大秘密を知っているのは、きっとルパンただ一人であるに違いない。
祝の会場は大騒ぎになった。ボートルレ少年は新聞の中ほどからもう自分では読むことが出来なかった。少年は自分の負けであったことをはっきりと知った。少年は両手で顔を覆うて沈み切ってしまった。
バルメラ男爵は傍《かたわら》に立って、静かに少年の手をとってその頭を上げさせた。
ボートルレは泣いていた。
火中から拾い出された本
ボートルレ少年は学校へ帰ろうともしなかった。ルパンに勝てないうちは学校へも帰るまいと決心した。少年は一生懸命に考え始めた。
あの紙片《かみきれ》の暗号はみんな自分の考え違いであった。エイギュイユ・クリューズはあのクリューズ県に聳え立っているエイギュイユ城ではなかった。同じく「令嬢《ドモアゼル》」
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