少年は静かに少女の手を開かせてその顔を上げさせた。あわれな少女の顔は涙に濡れて、不安と後悔の色が流れていた。
「さあさあすぎたことは仕方がありません。僕は決して怒りはしません。その代り男たちがどんなことを話していたか、知っているだけ話して下さい、僕のお父様を何で連れていって?」
「自動車よ……」
「何かいっていましたか?」
「何だか、町の名をいっていたのよ。」
「どんな名前?」
「シャート……何とかいってよ。」
「シャートブリアン?」
「いいえ……」
「シャートールー?」
「そそ、そうよ、シャートールーよ。」
 ボートルレはそれを聞くと、フロベルヴァルの帰りも待たず、驚いて眺めている少女にも構わずに、そのコーヒー店を飛び出して、停車場へ駆けつけ、ちょうど発車し掛けていた汽車に飛び乗った。
 ボートルレは一度パリで降りて、友達の家へ入り、そこで上手に変装した。見たところ三十歳くらいの英国人、服は褐色の弁慶縞、半ズボンをはき、鳥打帽子《とりうちぼうし》をかぶり、顔を上手に染め、赤い髯を鼻の下につけていた。
 シャートールーへ着いて調べてみると、二つばかり証拠があがった。パリへ電話を掛けた男があること、一台の自動車がシャートールー村へ入ってきて、森の近くで止まったことなど。
 ボートルレは種々《いろいろ》考えた。そして父親はきっとこの附近にいるに違いないと思った。

            父の手紙

 少年は猛烈に活動し出した。地図を頼ってそのあたりを歩き廻ったり、百姓家へ入って種々《いろいろ》と話してみたり、お神さんたちとしゃべってみたりした。少年は一日も早く父を探し出さなければならない。父だけではない、ルパンのために誘拐されたみんなの人、レイモンド嬢もいるし、ガニマールもいる。またエルロック・ショルムスもいるかもしれない。
 しかし少年は二週間ばかり一生懸命に探し廻ったが、その後何も分らない。少年はもう駄目なのかしらと思って心配し出した。父はもっと遠い所へ行ってしまったのではないだろうか、少年はもう帰ろうかとさえ[#「かとさえ」は底本では「とかさえ」]思った。
 するとある朝、パリから、切手の張ってない手紙が廻されてきた。その封筒の字を見て、あっと驚きの声を上げた。もしや敵の策略ではあるまいか、開いてみてがっかりするのではあるまいか?
 思い切って、さっと封を開いてみると、嬉しや間違いもなくそれは父の書いたものであった。その手紙には、
「この手紙がお前の手に入るかどうか分らないとは思うが、とにかく書きます。私は誘拐せられたその日の夜中に自動車で連れられてきました。しかし目隠しをされているのでどこやらさっぱり分らない。私の今いるのは[#「いるのは」は底本では「いのるは」]あるお城です。室は二階にあって、窓が二つあります。一つの窓は蔓草に覆われています。
 思い掛けなくこの手紙を書くことが出来ました。いい折があったら、この手紙を小石に結びつけて城の外へ投げようと思っています。通り掛りの百姓などが拾ってくれて、パリへ送ってくれるかもしれないと思っているのです。
 しかし私のことは心配は入りません。毎日庭の中を散歩する時間もあります。とりあつかいもたいへん叮嚀《ていねい》です。ただ私のことでお前に心配を掛けるのをすまないと思っています。[#地から3字上げ]父より。」
 ボートルレは急いで封筒の消印を調べてみた。それには「アントル県、クジオン局」としてあった。
 アントル県?この県こそ少年が汗水たらして尋ね廻ったところではないか!
 少年は早速今度は労働者に姿を変えて、クジオン村へ出掛けていった。そして村長を訪ねてありのままを話して何か手懸りはないかと尋ねてみた。人の好さそうな村長は急に思い出したように大声で、「ああ、そういえば心当りがありますよ。この村にシャレル爺さんという研屋《とぎや》を商売にして村中を廻って歩く爺さんがありますがね、この前の土曜日でした。村はずれでそのシャレル爺さんに逢ったんですよ。すると、シャレル爺さんが私を呼び止めてね、村長さん、切手の張ってない手紙でも宛名のところへ届きますかって聞くんでしょう、そりゃ不足税をとられるが、届くことは届くよっていって聞かせたんですがね。」
 ボートルレは大喜びで早速そのシャレル爺さんの家へ、村長に連れていってもらった。
 その家は高い樹に囲まれた寂しい中にぽつんと一軒だけある茅屋《かやや》であった。番犬を繋いである犬小屋があったが、二人が近づいても犬は吠えもしなければ、身動きもしない、ボートルレが走り寄ってみると、犬は四肢を突張《つっぱ》って死んでいた。
 二人は急いで家の中へ入った。すっぽりと服を着込んだ老人が横たわっている。
「シャレル爺や!……やっぱり死んでいる!」と村長は叫んだ[#「叫んだ」は底本では「叫だん」]。
 しかしシャレル爺さんはまだいくらか息が通っていた。二人は医者を呼んできて一生懸命に看病した。何か強い眠り薬を飲まされているのであった。その日の真夜中頃からやっと少しずつ息が強くなって、翌朝はいよいよ起きて平常のように飲んだり食ったり動き廻った。しかし身体は動いても、頭の中はまだ眠りから覚めないと見えて、少年が何を尋ねても返事をしなかった。
 その翌日、爺さんはふとボートルレを見てこんなことをいい出した。
「あなたは全体何をしてござるのかね、え、もし?」
 爺さんは初めて、自分の傍に知らない少年がいるのに気づいて驚いたのであった。

            秘密の古城

 こうして爺さんの頭は少しずつものが分るようになった。しかしボートルレ少年が、ああして眠ってしまったすぐ前のことを種々《いろいろ》と尋ねてみるが、何を聞いてもその時だけは爺さんはけろりとしている。実際爺さんは今度の長い眠りの時間をちょうど境にして、その前のことはすっかり忘れてしまっているらしい。
 ボートルレ少年にはこんな不幸なことはない。事件はすぐ手近に現われようとしている。この爺さんの手があの父の手紙を拾い、この爺さんの両眼がその城を見たのに違いないのに……
 ボートルレ少年の父親が手紙を城の外に投げたことを知り、早速そのたった一つの証人であるこの爺さんの口を閉じさせて[#「させて」は底本では「さてせ」]しまったこれは、あのルパンでなくては出来ない離れ業である。
 しかしボートルレ少年は堅く決心して、毎日シャレル爺さんを訪れた。しかしまたルパン一味の者に見つけられては何にもならないので用心に用心をした。
 ある日ボートルレは途中でシャレル爺さんに逢った。少年は爺さんの跡をつけた。すると少年はまもなく、爺さんをつけているのは自分だけでないのに気づいた。一人の怪しい男が少年と爺さんとの間に現われて、爺さんが休めば自分も休み、爺さんが動き出せばまた同じように動き出す。
「ははあ、爺さんが城を覚えていて、城の前で立ち止まるかどうか調べているんだな。」とボートルレは考えた。
 一時間の後、シャレル爺さんは一つの橋を渡った。すると怪しい男は橋を渡らずに、しばらく爺さんを見送っていたが、そのまま他の小道へ歩き出した。ボートルレはしばらく考えていたがすぐ決心して、その男の後をつけることにした。
 少年の胸はおどった。父の隠されているその城へ近づいているかもしれない。
 怪しい男はこんもりと繁っている森の中へ入ってしまったが、やがてまた森を出て明るい道へ姿を現わした。
 ボートルレ少年が森の中を通ってふと前の道へ出ると驚いた。男の影も形もなくなっている。きょろきょろあたりを見まわした少年は、たちまちあ!と叫んで元の森の中へ飛んで帰って身を隠した。見よ!少年の右手の方に大きな塀で囲まれた、巨大な古城が聳え立っているではないか。
 これだ!これだ!父が閉じ込められている城はこれだ!ルパンがその誘拐した人を閉じ込めている牢屋はとうとう見つけ出された。
 少年は自分の身体を見られないように用心しながらその城を見ていた。そしてその日はそれで止めた。よく落ちついて考えてから仕事に掛らなければならない。
 少年は戻り掛けた。途中で二人の田舎娘に逢ったので早速尋ねてみた。
「あの、森の向《むこ》うにある古いお城は何という城ですか?」
「あれはね、エイギュイユ城っていうのよ。」
 少年はその答えを聞いてはっと驚いた。
「え!エイギュイユ城ですって……ここは何県ですか?アントル県ですね、たしか?」
「いいえ、アントル県は川の向う岸よ。ここはクリューズ県ですよ。」
 ボートルレは全く驚いてしまった。エイギュイユ城!クリューズ県!エイギュイユ・クリューズ!古い紙片《かみきれ》の暗号はこれ!ああ今度こそきっと少年の勝利に違いない!

            古城の主

 ボートルレはすぐに決心した。今度は一人でやろう、警察に知らせるとかえって騒がしくなるばかりで、ルパンにすぐ感づかれる恐れがある。
 ボートルレは役場へ行ってエイギュイユ城の持ち主を調べた。持ち主はバルメラ男爵という人で、今はその男爵はエイギュイユ城には住んでいない、ということが分った。
 少年はすぐその足でパリへバルメラ男爵を訪ねた。そしてすっかり自分の考えやら、父が閉じ込められているらしいことなどを話した。バルメラ男爵の話によると、その城はバルメラ男爵がまたアンフレジーという人に貸しているものだということであった。そのアンフレジーという人は、眼つきが鋭く、髪の毛は茶褐色で、髯はカラーの辺まで垂れてそれが二つに別れている。ちょっと英国の僧侶というような風采だということだった。
「彼奴《きゃつ》です。」とボートルレはいった。
「アルセーヌ・ルパンに違いありません。」
 バルメラ男爵はその話をたいへん面白がって聞いていた。バルメラ男爵も新聞で見て、ルパンとボートルレとの闘いは知っていた。
 ボートルレはその決心を男爵に打ち明けた。夜中《やちゅう》に一人でその壁を乗り越えて、少年は父を救い出す決心なのである。バルメラ男爵はいった。
「あなたはそう何でもないようにいいますが、あの壁はそうたやすく乗り越せるものではなく、よしや壁を越えたとしても、城の中へはどうして[#「どうして」は底本では「どうへして」]入ります?それに城の中だって八十も室《へや》があって、とても分るものではありませんよ。」
「じゃ、どうぞ僕と一緒に来て下さい。」とボートルレはいった。
 初めは断っていたバルメラ男爵も、とうとうボートルレ少年と一緒にその城に忍び込むことになった。男爵はその翌日|真赤《まっか》に錆びた鍵を持ってきてボートルレに見せた。
「これは叢《くさむら》の中にうずもれている小さな潜戸《くぐりど》を開ける鍵です。」
 ボートルレはあわてて口を挟《さしはさ》んだ。「ああ、いつか僕がつけた男が消えたのは、その叢の中の潜戸ですね、よし、勝利は私たちのものです、お互に力を協《あ》わせてやりましょう。」

            夜陰の城へ

 二人は種々《いろいろ》と考えをめぐらし、支度を整えた。バルメラ男爵は馬方に、ボートルレは椅子直しに変装した。二人の他にボートルレの学校の友達が二人、その二人も同じように椅子直しに身を変えた。そして四人はいよいよ城のあるクロザンへ入り込んだ。
 みんなは三日間その村にいて古城のまわりを密かに調べながら、月のない暗い夜を待った。
 四日目の夜、空は真黒《まっくろ》な雲に覆われた。バルメラ男爵はいよいよ今夜忍び込むことに決めた。
 四人は忍びながら林の中を通りすぎて例の叢の小門《しょうもん》に近づいた。ボートルレは鍵を挿し込んで静かに※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した。戸は幸に音もなく開いた。二人の友達を外に見張りさせて、ボートルレとバルメラ男爵は庭の中へ入り込んだ。その時空の雲が途切れて月の光が芝生の上に流れた。二人はその蒼い月の光で古城をあおぎ見ることが出来た。それはたくさんの針のように尖った屋根が、真中に聳え立っている櫓を囲ん
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