ちまち真面目になって電報を開いたが、顔を上げて不思議そうに、
「何のことだろう?僕には分らない……」
「電報を打った所の名をよくごらん、そらシェルブールとあるだろう。これでもすぐ分ることじゃないか。」
「え!、なるほど、分る……シェルブールだ、それから?」
「ニモツニツキソッテイク、メイレイマツツゴウヨロシ、もう分ったろう。馬鹿だなあ、ニモツとは君のお父さんのことだ、まさかボートルレ氏父とも書けないじゃないか。二十人の護衛者がついていても、俺の部下の方ではツゴウヨロシといって俺の命令を待っている。え、どうだい、赤ちゃん?」
 ボートルレは一生懸命我慢しようとつとめた。しかしその唇はみるみる慄えてきて、両手で顔を覆ったと見る間に、大粒の涙をはらはらと流して泣き出した。
「ああ!お父様……お父様」
 思い掛けないこの場面、この可憐な、無邪気な、胸から湧き出るような泣き声にルパンは少からず面喰った。彼は一度帽子をとってその部屋から出ようとしたが、また思い返して一足一足少年の方へ帰ってきた。そして身を屈めて静かな声でいい始めた。その声の中にはもう悔《あなど》りの調子も、勝ち誇った調子もなかった。優しい同情のある声であった。
「もう泣くな君、こんな闘争の中に飛び込んでくれば、このくらいのことは覚悟していなければならない。前にもいうた通り我々は敵《かたき》同士ではないのだ。俺は初めから君が好きであった。だから俺は君を苦《くるし》めたくないけれども、君が俺に敵対する以上はやはり仕方がない。ね君、どうだい、俺に敵対するのは止めないか。君は俺に勝てると思っているかもしれない。決して君を馬鹿にするのではないが、しかし君は俺というものを知らないのだ。俺にはどんなことでも、やれないことのないほどの資本《もとで》がある。それは誰も知らないことなのだ。たとえばあの紙切の|空の針の秘密《エイギュイユ・クリューズ》、君が一生懸命に探ろうとしているあの秘密の中には、大きな大きな宝があるかもしれない。また人の眼に見えない驚くような隠れ家があるかもしれない。俺の力というものは、そんな大秘密の中から引き出してくるのだ。ね、だから君はどうか俺と争うことを止めてくれ、……そうでないと俺は心にもなく君を苦しめなければならない。ね、どうか止めてくれ。」

            悲劇の真相

 ボートルレはやがて顔を上げた。少年は何事か考えているようであったが、
「もし僕があなたのいうようにするなら、お父様を赦してくれますか。」
「それはいうまでもなく赦す、部下は君のお父さんをある田舎の町へ自動車で連れていくことになっているが、もし新聞に出ていることが僕のいう通りになっていたら、俺はすぐ部下に電報を打って、君のお父さんを赦すように命ずる。」
「では僕はあなたのいう通りにいたしましょう。」とボートルレはいった。
 こうして少年は巨賊《きょぞく》ルパンに負かされてしまった。ボートルレはつと立ち上って、帽子を握りルパンにおじぎをして室を出ていった。
 翌朝の新聞にいよいよ怪事件の真相は堂々と発表された。少年はルパンの言葉通り、ルパンは死んだものとして発表したのであろうか?、否、新聞には次のような意外な[#「意外な」は底本では「以外な」]新事実が発表された。順々に書いてみよう。
 一番初めに、ルパンは銃で撃たれて倒れた時、ルパンは自分が僧院の中で仕事をしている頃見つけておいた例の隠れ穴の土窖の中までどうにかして逃げようとしたのだった。がその時足音がしてレイモンド嬢が現われた。ルパンはもう仕方がないとあきらめたが、彼は早口にドバルを殺したのは伯爵で、自分ではないことをレイモンド嬢にうったえた。レイモンド嬢は同情深い人だったので、初めドバルの仇討《あだうち》をしようと思って銃を撃ったのがドバルの殺害者ではないと分ると、その倒れている男が可哀想になった、すぐルパンの傷口にハンカチを割いて繃帯をしてやり、ルパンの持っていた僧院の鍵で、僧院の扉を開け、ルパンを中へ入れてやって、そして知らない風をして下男たちと他を探し廻っているうちに、ルパンは隠れ穴の土窖の中へ隠れてしまった。それであとになってから僧院の中を探した時には、もうルパンの姿は見つからなかった。
 レイモンド嬢は自分の隠してやった賊を、そのまま放っておいたら飢死《うえじに》をしてしまうだろうということが心配になった。そして彼女はどうにも仕方がなく、それから毎日食事や薬を僧院の隠れ穴へ運んでやるようになったのである。
 思い掛けなく賊の味方をするようになったレイモンド嬢は、判事の取調べの時にも偽《いつわり》をいってしまった。二人の令嬢が犯人の人相のことで、違ったことをいったのがこれで分る。ルパンの傷が重いから手術をしなければならないと、仲間の者に知らせてやったのもレイモンド嬢であった。例の皮帽子をとり替えてやったのもレイモンド嬢である。ボートルレをわざと怪しく思わせるために、その前の日にボートルレを小門の前で見たといったのも、やはりレイモンド嬢の考えた偽であった。しかしこの偽のために、ボートルレはレイモンド嬢を怪しいと思い初めるようになったのだった。
 こうして四十日も掛って、レイモンド嬢はルパンを全快させた。ルパンが死んだら、レイモンド嬢に仇討をするという脅迫の紙切は、やはりレイモンド嬢が考えて書かせたものであった。
 ジェーブル伯邸で起った事件の不思議な一つ、傷ついたルパンがどうしても発見されなかったわけがこれで分った。ルパンはやはり僧院の中にあって、レイモンド嬢の親切な看病を受けて全快したのである。
 それでは何故《なにゆえ》にレイモンド嬢を誘拐したのであろうか? 四十日の間レイモンド嬢の優しい看病を受けたルパンは、レイモンド嬢と結婚したいという望みを持つようになった。しかしレイモンド嬢は、ルパンの傷が治っていくごとに、土窖の中へ訪ねてくるのが少なくなった。ルパンの傷がすっかり[#「すっかり」は底本では「すっから」]治ってしまったら、もうレイモンド嬢に逢うことは出来なくなるであろう。
 それでとうとうルパンは土窖の中を出ると、種々《いろいろ》の仕度をととのえて、レイモンド嬢を誘拐してしまったのであった。
 しかし誘拐しただけではレイモンド嬢を探し出そうとするに違いないと思ったルパンは、レイモンド嬢は死んでしまったように思わせなければならない。
 また一方ルパンも死んでしまったように思わせるために、僧院の土窖の中へ死体をおいた。そしてその死体はちょうど大石が落ち込む下のところにおき、その頭は大石の下になって人相が分らないようにくだけてしまうような仕掛けになっていた。それと同時に海岸にはレイモンド嬢の死体が打ち上げられた。その死体も同じように人相は見分けられないほど腐っていた。ただ腕輪がレイモンド嬢のであったから、レイモンド嬢の死体だろうと思われたのであった。
 この二つの事件からボートルレは考えついたことがあった。それはちょうどその四五日前に、ある宿屋に泊っていた若い夫婦が毒を飲んで死んだことが新聞に出ていた。そしてその二人の死体は、親類の者だという者が出てきて引き取っていったのであった。いつかボートルレが自転車を飛ばしてある村の役場を調べに行ったことがあった。その時に、ボートルレはこれらのことを調べてきたのであった。そしてこの死んだ夫婦の親類というのは、ルパン一味の者に違いないということを、ボートルレはたしかめたのであった。
 こうしてルパンとレイモンド嬢の身替りをつくって、すべての世間を欺いた。
 しかしガニマールとショルムスとボートルレの三人は欺くことが出来ない。でとうとうルパンはガニマールとショルムスを誘拐し、ボートルレに傷を負わせたのである。
 しかしただ一つ分らないことがある。あの不思議な暗号の紙切、エイギュイユ・クリューズ(空の針)の秘密が隠されているあの紙切を、烈しい勢でボートルレの手から奪っていったのは何故《なにゆえ》であろうか? ボートルレの頭の中にはもうあの暗号はすっかり覚え込まれている。それともあの紙切に記してある暗号よりも、あの紙切が大切なのであろうか。
 紙切のことはしばらくそのままにしておいて、ジェーブル伯邸に起った事件の真相はついに発表せられた。ルパンに脅迫されながらもボートルレはとうとう黙っていることが出来なかった。発表された真相は余りに思い掛けないことであった。人々は今更のように驚いた。
 この真相発表のあった日の夕方の新聞に、ボートルレのお父さんが誘拐せられたという記事が出た。
 これにはさすがのボートルレもぼんやりとして、しばらくはどうすればいいのか分らなかった。負けず嫌いのボートルレ少年はとうとうルパンの言葉に従わなかったのだ。しかしあの厳しい兵器庫の中にたくさんの人に守られている父親を、いかにルパンだって誘拐することは出来まいと思っていたのだった。少年の父親は、決して一人では外へ出さないようにし、またよそから来る手紙なども他の人が見てからでないと渡さないことにしてあった。
 その厳しい警戒の中を、どうして誘拐していったのであろうか。ルパンの恐ろしい力にはどうしても勝てないのであろうか。
 やがて少年は、どうしても父親を探し出そうと決心した。少年は兵器庫のあるシェルブールへ向う汽車に乗った。

            不思議な一枚の写真

 シェルブールの停車場には、父を預けておいた兵器庫の役人のフロベルヴァルが、十二三歳になる娘のシャルロットを連れて少年を迎《むか》いに出ていた。
「どうしたんです。」とボートルレはいきなり叫んだ。
「どうも私たちにも分らないんです。」とフロベルヴァルは溜息をつくばかりであった。
 少年は二人を近くのコーヒー店にさそって、あれこれと尋ねた。
 その話によると一昨日は少年の父親は一日部屋にいたというのである。娘のシャルロットが夜の御飯を持っていってやったのだった。それだのに翌《あく》る朝の七時にはもうその姿が見えなくなっていた。寝床も室の中もきちんとなったままであった。
「机の上にはいつも読んでいらしった本がおいてあって、本の中にはあなたの写真がはさんでありました。」とフロベルヴァルがいった。
「どれお見せ下さい。」
 フロベルヴァルから渡された写真を一目見たボートルレは、はっと驚きの色を浮べた。それはなるほど自分の写真には違いない。ジェーブル伯邸の僧院の側《そば》に立っている自分の写真である。しかし少年は僧院の前などで写真を写した覚えはない。
「分りました。」と少年は叫んだ。「この写真は私の知らないものです。きっと判事の書記が私の知らない時に写しておいたのでしょう。そしてこの写真でうまうまと父親をおびき出したのです。父は写真を見てきっと私が外に来ているものと思ったのでしょう。」
「しかし誰が、誰が私の家の中へ入ってきたのでしょう?」
「それは分りませんね、だが父がこの写真で騙されたのはきっと本当です。港へ大急ぎで行って、誰かに尋ねて調べてごらんなさい。」
 フロベルヴァルは全く驚き入ったというような目つきでボートルレの顔を見ていたが、帽子を握って、
「シャルロット、お前も一緒に港まで行くかい?」
「いや。」ボートルレはそれをさえぎって、「僕はお嬢さんに種々《いろいろ》話し相手になってもらいたいことがありますから。」

            少女の罪

 フロベルヴァルは出ていった。ボートルレと少女とは室の中に二人きりになった。少年と少女は眼を見合わした。ボートルレは優しく少女の手をとった。少女はしばらく黙ってそれを見ていたが、急に両腕の間に顔をうずめて泣き出した。ボートルレは言葉静かに、
「ね、みんなあなたがしたのでしょう、よその知らない男が、あなたにこの写真を持っていってくれって頼んだんでしょう、そしてその男はリボンでも買えってお金をくれたんでしょう、ね、あなたは写真を父のところへ持っていってやり、外出の仕度もしてやったんでしょう。」
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