とにした。彼は自分の考と地図をたよって進んだ。そしてやっと四枚の名画は、約十八里ばかり先のある河のほとりで、自動車から舟に積み替えられたことが分った。そしてその舟の船頭に逢うことが出来た。船頭はなかなか初めはいわなかったが、やっと少しずつ話してくれた。それによると、その船頭は名画を運んだ時の一度だけではなく、六遍ばかりも雇われたということであった。
「六遍?……そしていつ頃から。」
「その前から毎日でさあ、しかしいつも品物は違っているようでしたよ。大きな石ころみたいな物や、時には新聞紙に包んだ小さなかなり長い物などがありました。とても大切がって私らには指もさわらせませんでしたよ。」
 ボートルレは思いがけない発見に蹌踉《よろ》めきながら外へ出た。彼が伯爵邸へ帰ってくると、彼へ手紙が来ていた。見ると次のようなことが書いてあった。
「黙れ、然らずんば……」
「やあこりゃ、自分のことも少し気をつけないと危《あぶな》いぞ。」とボートルレは呟いた。
 月曜日の朝判事はやってきた。
「どうです、分りましたか。」
「分りました。とても素晴らしいことが。今はルパンの隠れ家どころではありません。我々が今まで気づかずにいたもっと他の物が失くなって[#「失くなって」は底本では「失くなてつ」]います。」
「名画の他にですか?」
「さよう、もっと大切な物が、しかも名画と同じように替《かわ》りの品物をおいていきました。」
 二人は礼拝堂の前を通っていた。ボートルレは立ち止まって、
「判事さん、あなたはそれを知りたいんですか。」
「もちろん知りたいです。」
 ボートルレは太い杖を持っていたが、突然その杖を振り上げて、礼拝堂の扉を飾っている数個の彫像の一つを発止《はっし》と打った。
「ど、どうした、君は気でも違ったか?」判事は思わず、飛び散った彫像のかけらの方に駆け寄りながら叫んだ。「これは実に立派な物……」
「立派な物!」ボートルレはまたつづいてその次のマリヤの彫像を打ち壊しながら叫んだ。判事はボートルレに組みついて、
「君、馬鹿なことをしてはいけない!」
 その次の老王《ろうおう》の像も、基督《キリスト》の像も飛び散る。

            神秘の土窟《どくつ》

「その上動いたら撃つぞ。」ジェーブル伯もそこへ駆けてきてピストルを差し向けた。ボートルレは声高く笑った。
「伯爵、偽物です!」
「何だって?」二人は叫んだ。
「偽物です、つくり物です、中は空っぽです!」
 伯爵は彫像のかけらを拾ってみた。するとどうだろう、立派な大理石はただの漆喰に変っているではないか。そこにある彫像はまたとない実に立派な彫像なのであった。それがただの石膏細工《せきこうざいく》[#「石膏細工」は底本では「石豪細工」]に変ってしまっていた。
「ルパンです。実に偉いではありませんか。この偉大な礼拝堂はルパンによってみんな奪い去られてしまいました。一個年にたくらんだ仕事はこれです。実にルパンは偉い、何という恐ろしい天才でしょう。そしてこの礼拝堂の中には我々の知らない隠れ場所があります。ルパンは礼拝堂の中で仕事をしている間《あいだ》にそれを見つけ出したのです。ルパンはもし死んでいるとすれば、その隠れ場所にいるでしょう。」
 三人は礼拝堂の扉を鍵で開けて中へ入った。ボートルレはまた調べてみた。礼拝堂の中も立派な物はみんな偽物に変っていた。ボートルレは伯爵の持ってこさせた鶴嘴《つるはし》で階段のところを壊し初めた。ボートルレの顔色は気が引き締《しま》っているためにまっ蒼であった。突然、鶴嘴は何かに当《あた》ってはね返った。この時内側で何か墜落するような音が聞えたが、それと共に鶴嘴を当てた大石が落ち込んで大きな穴があいた。
 ボートルレは覗いてみた。一陣の冷めたい風が彼の顔に当った。下男が持ってきた梯子を掛けて、判事は蝋燭を持って降りていった。伯爵もそれにつづいた。ボートルレも最後に降りていった。穴倉の中は暗黒《まっくら》であった。蝋燭の火がちらちらと動いてわずかに探り見られた。しかし底に降りると恐ろしい胸のむかつくような臭気が鼻をついた。と、突然ボートルレの肩を押えた手があったが、それはぶるぶる慄《ふる》えていた。
「どうしたのです。」
「ボートルレ君、い、居た。何かある!」
「え!どこに?」
「あの大石の下に、あれ、見たまえ!」
 彼は蝋燭をとり上げた。その光は地上に横たわっているある物の方へ投げられた。
「あ!」ボートルレは思わず恐ろしさに声を挙げた。三人は急いで覗いてみた。実に恐ろしい痩せた半ば裸の死体が横たわって[#「横たわって」は底本では「横はたって」]いた。溶け掛けた蝋のような青みがかった腐れた肉が[#「肉が」は底本では「肉か」]、ぼろぼろに破れた服の間からはみ出ている。しかし一番恐ろしいのはその頭である。大石に打ちくだかれたその頭、ぐちゃっと圧しくだかれて、目鼻も分らないほど崩れてしまったその頭……
 ボートルレは長い梯子を四飛びに飛んで、明るみの空気の中へ逃げ出した。
 判事はあの死体はルパンに違いないとすっかり安心してしまった。ボートルレは何事か考え込んでしまった。判事宛に二通の手紙が来た。一つはショルムスが明日来るという知らせであった。一つは今朝海岸に美人の惨死体が浮《うか》び上ったという知らせであった。たいへん死体は傷ついていて、とても顔は見分けられなかったが、右の腕にたいへん立派な金の腕輪をつけているということだった。レイモンド嬢もたしか金の腕輪を嵌めていたはずだったのでその死体はレイモンド嬢に違いないと判事はいった。
 ボートルレはまたしばらくすると自転車を借りて近くの町へ急いだ。そこで彼は役場へ行って何事かを調べた。
 ボートルレは大満足で唱歌を唱いながら自転車でまた元来た道を帰ってきた。と伯爵邸の近くへ来た時、彼はあ!と声を上げた。見よ前方|数間《すうけん》のところに一条《ひとすじ》の縄が道に引っ張られてあるではないか。自転車を止める間もなくあなやと思う間に自転車は縄に突き当って、ボートルレの身体は三|米突《メートル》ばかり投げ出され、地上に叩きつけられた。しかし全く幸《さいわい》なことに、たったわずかのところで、路《みち》ばたの大石の前で止まった。その大石に頭を打ちつけでもしたら、ボートルレの頭はめちゃめちゃになるところであった。しばらくの間彼は気を失っていたが、ようやくにしてすり剥いた膝を抱えて起き上り、あたりを眺めた。曲者は右手の小さな林から逃げたらしい。ボートルレは起き上ってその縄を解いた。その縄を結びつけてある左手の樹に一枚の小さな紙切がピンで止めてあった。それには、
「第三囘の通告、そしてこれが最後の忠告である。」

            解かんとする謎の記号

 ボートルレは血だらけになって邸へ着くと、すぐ少し下男たちに何か尋ねてから判事に逢った。判事はボートルレを見ると、傍にいた書記に外に出ているようにと命令《いいつ》けた。判事は少年の血のついたのを見て叫んだ。
「あ! ボートルレ君一体どうしたのです。」
「いえ、何でもないんです。しかし判事さん、この邸の中でさえも僕のすることを見張っている者があるんですよ。」
「え! 本当かね、それは。」
「そうです。そいつを見つけるのはあなたの役です。しかし僕は思ったより以上に調べを進めました。それで奴らも本気になって仕事をし出したらしいのです。僕のまわりにも危険が迫ってきました。」
「そんな……ボートルレ君。」
「いえ、とにかくそれよりも先に、あのいつか血染の襟巻と一緒に拾った紙切のことですが、あのことは誰にも話してはいらっしゃらないでしょうね。」
「いや、誰にも、しかしあんな紙切が何か役に立つのですか?」
「え、大いに大切なのです。僕はあれに書いてあった暗号の謎を少し解くことが出来ました。それについて申し上げますが。」
と、いいかけたボートルレは、ふいにその手で判事の手を押えて聞き耳を立てた。
「誰か立ち聞きをしている。」砂利を踏む音に少年は窓に走った。しかし誰もいない。
「ねえ、判事さん、敵はもうこそこそ仕事をしてはいません。大急ぎで申し上げましょう。」
 少年は紙切を卓《テーブル》の上において説明を始めた。ボートルレはこの間からこの紙切について一生懸命考えていたのであった。そして少年はやっとその数字がア・エ、イ・オ、ウ、の字を表《あら》わしていることを考えついた。つまり数字の1は、最初のア、を差し、2は次のエを指しているのであった。それを頼りに、点のところへ、言葉になりそうな字を入れていった。その結果少年は、第二行から(令嬢《ド・モアゼル》)という言葉を拾うことが出来た。
「なるほど、二人の令嬢のことだね」と判事はいった。少年はまたその他に、(|空に《クリューズ》)という言葉と(針《エイギュイユ》)という言葉を見つけた。
「空《うつろ》の針、それは何だろう。」と判事がいった。
「それは僕にもまだ分りません。しかしこの紙切の紙はずっと昔のものらしいのですが、それが不思議です。」
 この時ボートルレはふと黙った。判事の書記が入ってきたのであった。書記は検事総長が到着したと告げた。判事は不思議な顔をした。
「何だろう、おかしいな。」
「ちょっと、下までおいで下さいといって、馬車をまだお降りになりません。」
 判事は首をかたむけながら降りていった。この時怪しの書記は室《へや》の中から戸を閉じて鍵を掛けた。

            美少年の重傷

「あ!なぜ戸を閉めるんです!」とボートルレは叫んだ。
「こうすれば話がしいいというもんだ。」と書記は嘲笑った。万事は分った。奴の仲間、それは書記だったのだ。
 ボートルレはよろめきながらどっと腰を下《おろ》して、
「話せ、何が望みなのだ。」
「紙切さ、あれを渡せ。」
「僕は持っていない。」
「嘘をつけ、俺はちゃんと見たんだ。」
「それから?」
「それから。手前は少しおとなしくしろ、手前は俺たちの邪魔ばかりしやがる。手前は手前の勉強をすれやいいんだ。」
 書記に化けた曲者は、ピストルを少年に差し向けながら進んできた。
 ボートルレは動かなかった。恐ろしさに顔は真蒼《まっさお》であったが、しかもなお少年は、この場合どうすればいいかと考えていた。ピストルは眼の前に迫っている。太い指が引金《ひきがね》に掛っている。それを引けばそれまでだ。
「やい!出さねえか、……うぬ!出さねえな!」
「これだ。」と少年はいって、懐から紙入を出してそれを渡した。書記は引ったくるようにその紙切をとった。
「よし、手前は少しは物が分るよ。さあ用がすんだら退却としよう。さよなら。」
 男はピストルを懐へ収めて、窓の方へ歩みを向けた。廊下に判事の帰ってくる足音、男はふと思いついたらしく立ち止まって、渡された紙片《かみきれ》を調べた。
「あ!畜生、あの紙切はない、よくも騙しやがったな!」と室内へ飛び込んだ。と二発の銃声、今度はボートルレが自分のピストルを出して撃ち放ったのだ。
「当るかい、畜生!」
 二人は引っ組んだまま床の上を転がった。
 外からははげしく扉を叩く。二人はすさまじい格闘をつづけたが、とうとうボートルレは次第に弱ってたちまち組み敷かれてしまった。それでお仕舞いだ。さっと振り上げられた手には短劒が閃《ひら》めいた。と発止!打ち下された。激しい痛みを肩に覚えて、少年は思わず握った手をゆるめる。
 上衣《うわぎ》のポケットを探られて、紙切を持ち去られるように思ったが、そのまま気を失ってしまった。
 翌日の新聞は伯爵邸の珍事でいっぱいであった。礼拝堂の隠れ穴、ルパンの死体発見、レイモンド嬢の惨死体発見、ボートルレの災難。
 それと同時にまた驚くべき別のことが知らされた。それはガニマール探偵の行方不明と、ロンドンの真中《まんなか》で、しかも真昼間《まっぴるま》に起った誘拐事件、それは英国の名探偵ヘルロック・ショルムスの誘拐事件であった。
 こうしてルパンの残党は、十七
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