うぞ先を話して下さい。君は犯人の名前も知っているといわれたはずですね。」
「そうです。」
「誰があのドバルを殺したのでしょう。その男はどこに隠れているので[#「ので」は底本では「での」]しょう。」
「実はそのことについては、一つの間違いがあります。ドバルを殺した男と、逃げた男とは別の人間です。」
「何ですって?」判事が叫んだ。「伯爵や二人の令嬢が客間で見た男、そしてレイモンド嬢が銃で撃って、邸園の中で倒れ、我々が今探している男、それと、ドバルを殺した男とは別の人間だというのですか。」
「そうです。」
「では別にまだ逃げた犯人がいるのですね。」
「いいえ。」
「ではどうもよく分らないですな。誰がドバルを殺したのです。」
「それを申し上げる前に、少しくわしくお話をしないと、私が余り変なことをいうようにお思いになるでしょう。まずドバルが殺されたのは夜中の四時であるのに、ドバルは昼間と同じような着物を着ていました。伯爵はドバルは夜更しをする癖があるといわれましたが、みんなのいうのを聞きますと、それとは反対に、ドバルはたいへん早く寝るそうです。そうしますと話が合わないで少しおかしくなります。それに僕の調べたところによると、あの名画を写させてくれといった画家は、ドバルの知り人《びと》だったということです。それでいよいよ僕はドバルが怪しいと思いました。」
「するとどういうことになりますか?」
「つまり画家とドバルとは仲間でした。それにはたしかな証拠があります。ドバルが手紙を書いた吸取紙の端《はじ》に『A《ア》・L《エル》・N《エヌ》』[#「』」は底本では欠落]という字があったのを見つけました。電報の名前と同じです。ドバルは名画を盗みとった強盗犯人と手紙のやり取りをしていたのです。」
「なるほど、そして……」判事はもう反対しなかった。
「ですから、逃げた犯人が、仲間であるドバルを殺すはずはありません。」
「そうかしら?」
「判事さん思い出して下さい。気を失っていた伯爵が一番初めに叫んだ言葉は『ドバルは生きているか?』ということでした。その後伯爵は『眉間を曲者に殴られて気を失ってしまった。』といわれました。どうして気を失った伯爵が、正気づくと同時にドバルが短剣で刺されたことを知っていたのでしょう。」
 そしてすぐまたボートルレはつづけた[#「つづけた」は底本では「けつづた」]。
「強盗たちを客間へ引き入れたのはドバルです。そして伯爵が目を覚ましたので、ドバルは短剣を持って伯爵に飛びつきました。伯爵はついにその短剣を奪いとってドバルを刺したのです。それと同時に、も一人の曲者に眉間を殴られて気を失ったのです。」

            ルパン?生?死?

 判事とガニマールはまた顔を見合《みあわ》せた。
「伯爵、この話は真実でございましょうか?……」
 判事は尋ねた。伯爵は答えなかった。
「黙っていらしってはかえっていけません。どうぞお話し下さい。」
「今のお話しはみんな本当です。」伯爵ははっきりといった。判事は飛び上って驚いた。
 伯爵は、二十年も自分の家に働いたドバルを賊の仲間だと知らせたくなかった。それにもうドバルは殺されているのでそれで十分だと思った。ドバルは二年前からある婦人と知り合いになり、その人にお金を送るために盗賊をするように[#「するように」は底本では「すやるうに」]なったということなどを伯爵は語った。
 伯爵が室を出ていったあとで判事は今度は犯人の隠れている宿屋のことのついて尋ねた。ボートルレの答えはまた違っていた。ボートルレの答えによると、犯人は宿屋などにはいないというのである。宿屋へ運んだように見せかけたのは警察を誑《たぶらか》す[#「誑す」は底本では「訛す」]陥穽《わな》であった。犯人はたしかにまだあの僧院の中に隠れている。死にそうになっている病人をそんなに運び出せるものではない。あの火事騒ぎをやっている間《ま》に医学博士を僧院の中へ案内した。医学博士が宿屋だといったのは、犯人たちが博士を脅《おどか》して、あのようにいわせたのだとボートルレは語った。
「しかし僧院の中は円柱が五六本あるばかりで……」
 判事は不思議がった。
「そこに潜り込んでいるのです。」とボートルレは力を込めて叫んだ。「判事さん、そこを探さなければ、アルセーヌ・ルパンを見つけ出すことは出来ません。」
「アルセーヌ・ルパン!」判事は飛び上って叫んだ。
 有名なその一言に一座はしばらくしんとしてしまった。アルセーヌ・ルパン!大冒険家大盗賊王、眼に見えぬ彼ルパンは空しい大捜索の幾日間を、どこかの隅で傷に苦しんでいる。不敵の敵は本当にルパンであろうか?判事とガニマール探偵とはしばらくじっと動かなかった。
「ごらんなさい。」とボートルレはいった。「彼らが手紙をやった宛名の略字に何とありますか、A《ア》・L《エル》・N《エヌ》すなわちアルセーヌの一番初めの文字《もんじ》と、ルパンの名の初めと終りの文字をとったのです。」
「ああ、君は実に偉い天才です。この老ガニマールも負けました。」とガニマールはいった。ボートルレは喜びに顔を赤くして老探偵の差し出した手を握った。三人は露台に出た。そしてルパンが隠れているという僧院を見下《みおろ》した。判事は呟くように、
「してみるとあいつはあそこにいますね。」
「あそこにいます。」とボートルレは重々しげにいった。「銃で撃たれた時からルパンはあそこにいるのです。いかにルパンでもあの時逃げ出すことは出来ないことだったのです。」
「そうするとどうして生きているのだろう。食物《たべもの》や飲物も入るだろうに。」
「それは僕にはいえません。しかし彼があそこにいることは決して間違いありません。僕はそれを断言します。」

            探偵の手懸《てがか》り

 僧院の方を指《ゆびさ》したボートルレの指先は空中に一つの円を描いて、それをだんだんに小さくしてとうとうある一点に止《とど》めた。判事と探偵はその一点を見つめつつ胸の慄《ふる》えるのを覚えた。アルセーヌ・ルパンはあそこにいる。有名な巨盗《きょとう》ルパンが独り寂しく、かの暗い地下室の冷たい土の上に死に掛って横たわっていると思えば、一種悲愴な気持がわいてくるのであった。
「もし死ぬようなことがあったら。」と判事が声を潜めていった。
「もし死にでもしたら、その時こそ判事さんレイモンド嬢を警戒せねばなりません。なぜならば、手下の者はきっと復讐するでしょうから。」
 ボートルレはしばらく経つと、学校の休暇が今日でお終いになるからといって、判事が相談相手に引き留めるのも断って、パリへ帰ってしまった。彼はまたジャンソン中学の学生になった。
 ガニマールは僧院の中をすっかり調べたが何の手懸りもないので、彼もまた同じ日の夜行でひとまずパリへ引き上げた。

            不可思議な暗号紙片

 こうしてわずか二十四時間のうちに、たった十七歳の少年の言葉によって、少しも分らなかった事件の糸はほぐされた。首領《かしら》を救わんとする強盗団の計画はわずか二十四時間で見事に破られ、かの巨盗アルセーヌ・ルパンの逮捕は確実になった。新聞紙はボートルレの記事でいっぱいであった。人々はみんなボートルレに驚き、どこででもボートルレを褒める言葉が交《かわ》された。
 しかもまた一方判事の方では、ボートルレが話したことより一歩も先へ進まなかった。レイモンド嬢がボートルレと見間違えた男のことも、四枚の名画のその後の行方も、同じく暗《やみ》に包まれたままであった。僧院の中の捜索も判事は自分自身から毎日出掛けて探したが、どうしても分らなかった。
 ある新聞記者がジャンソン中学へ行ってボートルレに逢って、なぜ探偵をつづけないのかと尋ねた。ボートルレは今ちょうど試験なのであった。彼は試験に落第するのは厭だといった。
「しかし強盗を捕まえるのはたいへんいいではありませんか。」と新聞記者はいった。
「それでは僕は六月六日の土曜日に行きましょう。」とボートルレは答えた。
 六月六日!この日は新聞に一斉に書き出された。「ボートルレは六月六日ドイエップ行の急行に乗る。そしてアルセーヌ・ルパンは捕縛されるであろう。」と。
 その日ボートルレは一人で汽車に乗った。毎日毎夜の勉強にくたびれて彼は眠ってしまった。ルーアンの見える頃にようやく目が覚めたが汽車の中はやはり彼一人であった。ふと前の腰掛覆《こしかけおおい》の上に何やら書いた一枚の紙片がピンで留めてあるのに気がついた。その書いてある字を読んでみると、
「汝は汝の学業に勉めよ。然らずんば汝の上に災《わざわい》あらん。」
「ははあなるほど」とボートルレは両手を擦りながら叫んだ。[#「。」は底本では欠落]「敵の形勢は悪くなってきたなあ、こんな脅迫なんか馬鹿らしい。」
 汽車はルーアンに着いた。ボートルレはその停車場で新聞を見て、驚きの余りさっと顔色を変えた。
「昨夜悪漢数名、ジェーブル伯邸にてシュザンヌ嬢を縛り猿轡を嵌めておいて、レイモンド嬢を誘拐したり。邸より五百|米突《メートル》の間は血跟《けっこん》が点々と落ち、なお附近に血染《ちぞめ》の襟巻が捨ててあった。これより見て、不幸なレイモンド嬢は殺害せられたりと信ぜらる。」
 ボートルレは身体を二つに折り、頭を両手で抱えて思いに沈んだ。
 彼はドイエップから馬車を雇った。ジェーブル伯爵邸の前で判事に逢った。判事は何もくわしいことは知らないといった。ただ皺苦茶《しわくちゃ》になった破れた紙片《かみきれ》をボートルレに渡した。それは血染の襟巻が捨ててあったところに落ちていたものであった。
「どうもこの紙片《かみきれ》は何の手懸《てがかり》にもなりそうにありません。」と判事はいった。
 ボートルレはその紙片《かみきれ》を打ち返し打ち返し眺めた。それには次のような記号と点が紙一面に記してあった。
[#暗号紙片の図(fig46187_01.png)入る]

        三 惨死体
            令嬢は生死不明

 判事は書記を連れて、ドイエップへ帰る馬車を待っていた。判事はその前にも一度ボートルレに逢いたいと思ったがその姿が見えなかった。書記も知らないといった。朝から見えないのであった。判事はふと思いついて僧院の方へ行ってみた。ボートルレは僧院の傍の松葉が一面散り敷いている地面に腹這いになって、腕を枕に眠っているような風をしていた。
「君、何をしているんです。眠っていたの?」
「いいえ、僕は考えていたんです。」
「今朝からずっと?」
「え、今朝からずっと。ね判事さん、犯人は初めからレイモンド嬢を殺すつもりだったのなら、なぜわざわざ外まで連れ出して殺したのでしょう? そしてその死体はどうしたのでしょう。」
「さあ、それは私にも分らん。そして死体もまだ発見されてはいない。しかし調べてみると、海岸に望んだあの絶壁まで行った形跡がある。そこは恐ろしいほど切り立った崖で、下を見下《みおろ》すと約百|米突《メートル》ばかりの深い絶壁で、その下には大きな巌《いわ》に波が恐ろしい勢《いきおい》で打ちつけている。たぶんそこへ投げ捨てたものと思われる。」
「そうでしょうか?」
「そうだ。ルパンが死んだので、この前に脅迫した通り令嬢を暗殺した。しかしよく考えてみると、どうもおかしい。まだルパンは生きているに違いない。ね、ボートルレ君、いよいよ事件は分らなくなってしまった。それに君、ジェーブル伯爵は、わざわざロンドンから、エルロック・ショルムスを呼んだ。ショルムスは来週の火曜日から来ることになった。ね、君、我々はどうしてもその前にこの謎を解かなければならない。」
「では判事さん、今日は土曜日です。月曜の朝十時にここでお逢いしましょう。それまでに考えておきます。」
 判事はボートルレと別れた。ボートルレは伯爵から自転車を借りて出掛けた。

            漆喰の傑作

 少年ボートルレはまず四枚の名画が運ばれていった道を調べるこ
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