あった。ふと前の腰掛覆《こしかけおおい》の上に何やら書いた一枚の紙片がピンで留めてあるのに気がついた。その書いてある字を読んでみると、
「汝は汝の学業に勉めよ。然らずんば汝の上に災《わざわい》あらん。」
「ははあなるほど」とボートルレは両手を擦りながら叫んだ。[#「。」は底本では欠落]「敵の形勢は悪くなってきたなあ、こんな脅迫なんか馬鹿らしい。」
 汽車はルーアンに着いた。ボートルレはその停車場で新聞を見て、驚きの余りさっと顔色を変えた。
「昨夜悪漢数名、ジェーブル伯邸にてシュザンヌ嬢を縛り猿轡を嵌めておいて、レイモンド嬢を誘拐したり。邸より五百|米突《メートル》の間は血跟《けっこん》が点々と落ち、なお附近に血染《ちぞめ》の襟巻が捨ててあった。これより見て、不幸なレイモンド嬢は殺害せられたりと信ぜらる。」
 ボートルレは身体を二つに折り、頭を両手で抱えて思いに沈んだ。
 彼はドイエップから馬車を雇った。ジェーブル伯爵邸の前で判事に逢った。判事は何もくわしいことは知らないといった。ただ皺苦茶《しわくちゃ》になった破れた紙片《かみきれ》をボートルレに渡した。それは血染の襟巻が捨ててあったと
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