べずに、買いとって出ていったそうです。」
「それは何日だい?」
「何日?何日って今日です、今朝の八時です。」
「今朝?君は何をいっているのか?」
「この帽子は今朝売れたのです。」
「しかしこの帽子は今朝この邸園で発見されたんじゃないか。してみれば、それはとにかくその前に買われていなければならん。」
「しかし帽子屋ではたしかに今朝といっていました。」
 判事は驚いて[#「驚いて」は底本では「驚いた」]しきりに考えていたがふと飛び上って叫んだ。
「馭者だ!今朝我々を乗せてきた馭者を押《おさ》えてこい。早くとり押えてこい!」
 しかしその馭者はもういなかった。口実をつけて自転車を借りて逃げてしまったあとだった。警部はそのことを判事に報告してから、
「これがあいつの帽子と外套です。」
「帽子をかぶらずに出掛けたのか。」
「懐中《ふところ》から黄色い皮の帽子を出して被っていったそうです。」
「黄色い皮の帽子?そんなことがあるもんか、それは現にここにあるじゃないか。」
 検事が傍《かたわら》から薄笑いをしながら、
「実に面白い、帽子が二個ある……一個は我々の唯一の証拠であった真物《ほんもの》で、馭
前へ 次へ
全125ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング