拐
翌日の新聞に次のようなことが発表された。「昨夜、外科医として有名なドラトル博士は夫人や令嬢と一緒に芝居を見に行ったが、その終《おわ》り頃に二人の従者を連れた一人の紳士が来て博士にいった。
「私は警察から参りましたが、ぜひ私と一緒においでが願いとうございます。急に先生にお願いすることが出来ましたのでお迎えに参りました。芝居が終ります頃にはきっと御帰りになれますから。」
博士はその紳士を連れて劇場を出たが、芝居がお終いになっても帰ってこないので、夫人たちが心配して警察へ電話をかけると、それは全く誰か他の者のしたことで警察では知らないことだと分り、大騒ぎになった。」
このことは、次の新聞でいよいよ不思議な事実となって現われた。
朝九時になってドラトル博士は一台の自動車で帰ってきた。その自動車は全速力で行方を晦《くら》ましてしまった。博士の語るところによると、ある手術をしなければならない病人を診察するために連れていかれたということである。それはある田舎の宿屋の一室で、病人はたいへん悪かったそうである。そして博士は一万円のお礼を貰ったそうである。しかしそれ以上はどうしても話さなかった。博士は堅く口止めをされているらしかった。
警察ではこの博士誘拐事件を、あのジェーブル伯爵邸の事件と何かの繋《つなが》りがあると目星をつけた。傷ついた賊のいなくなったこと、有名な外科医の誘拐、そこに何かあるだろうとは誰でも考えることである。
調べた結果、その考は間違いのないことになった。馭者に化けて入《い》り込み、皮帽子をとりかえて、自転車で逃げた犯人は、自転車をアルクの森の溝の中に捨てて、サン・ニコラ村へ行き、そこから左《さ》のような電報をパリへ打った形跡がある。
A《ア》・L《エル》・N《エヌ》・身体悪し、手術を要す、名医送れ。
これでいよいよはっきりと分った。この電報を受けとった悪漢《あくかん》の仲間は、博士を早速送ったのだ。こちらでは火事騒ぎを起させ、その間《ま》に傷ついた首領《かしら》を救い出して、これを近所の宿屋へかつぎ込んで、手術を受けさせたに違いない。今はその宿屋をつきとめればいい。パリからは特別にガニマール探偵が入り込んできた。近所の宿屋という宿屋は一軒残らず家の中まで調べた。しかしどうしたのか、そんな怪我人を泊めた宿屋は一軒もなかった。
翌日曜の朝、一人の巡査が、その夜《よ》塀の前の往来で一人の怪しい人影を見たといった。仲間の者が様子を見に来たのであろうか?あるいはまた彼らの首領《かしら》が僧院のどこかに隠れているのであろうか?
偽物は偽物です
その夜《よ》ガニマール探偵は小門の外を警戒していた。
十二時すぎになって果して怪しい一人の男が森から現われて、ガニマールの前を通り、小門から庭へ忍び込んだ。三時間ばかりの間、その男は僧院の近所をあちこちと歩き廻り、あるいは地上に屈んでみたり、あるいは円柱にのぼってみたり、あるいは一つ所に立ち止まって長いこと考えていたりしたが、やがてまた元のようにガニマール探偵の前を通っていこうとした。待ち構えていた探偵たちは突如組みついて捕まえた。曲者は少しも手向いをしなかった。しかしいざ調べる時になると、何を聞かれても答えなかった。判事が来れば分ることだというだけであった。月曜日の朝判事は着いた。ガニマールは曲者を判事の前に引き立てた。曲者はボートルレであった。
判事はボートルレを見て、非常に喜ばしげに両手を差し出して叫んだ。
「やあ、ボートルレ君!君のことは十分分りました。君はもういないのかと思いましたよ。」
ガニマールは驚いてしまった。ボートルレは判事にいった。
「判事さん、じゃもうすっかり分りましたね。」
「[#「「」は底本では脱落]十分分りました。第一レイモンド嬢が塀の外の小路で君を見たという時間に、君はたしかにブールレローズにおられた。君は間違いなくジャンソン中学の学生で、しかも優等生であることが分りました。」
「では放免して下さいますか。」
「もちろんします。しかし先日話し掛けて止めてしまった話のつづきをぜひしていただきたい。二日間も飛び廻ったことだから、だいぶ調べは進んだでしょう。」
これを聞いたガニマールはいかにも馬鹿々々しいというような顔をして、部屋を出ようとした。判事は手を挙げてそれを呼びとめた。
「ガニマールさん、いけないいけないここにいらっしゃい。ボートルレ君の話は十分聞くだけの値《あたい》があります。ボートルレ君の鋭い頭を持っていることはなかなかの評判で、英国の名探偵エルロック・ショルムス氏の好《い》い対手《あいて》とさえいわれているのですよ。」
ガニマールは苦笑いをしながらとどまった。ボートルレは話し出した。
「僕は調べ
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