計塔の立っている本院一棟とその左右に出張っている二つの建物二棟からから成り立っていて、その周囲には石の欄干が取りつけてある立派なものであった。庭の土塀を越して遥か彼方に、サントマルグリット村とヴァランジュヴィル村との間から、美しい蒼い海が遠く水平線まで見えている。ここにジェーブル伯爵は優しい令嬢シュザンヌと、二年前に両親に死に別れた姪のレイモンドを連れて楽しく平和な生活をつづけていた。伯爵は書記のドバルと二人で、たくさんの財産や地面を監督していたのであった。
 判事は邸へ着くとすぐ種々《いろいろ》調べて廻った。二階の客間へ行くと皆はすぐに、客間は少しも乱れていないことに気がついた。そこは何一つ手を触れたらしい跡もなかった。左右の壁には立派な美しい絨氈《じゅうたん》が掛っており、奥の方には枠入《わくいり》の見事な絵が四個掛っていた。これは有名なある画家の画《か》いた名高い絵であって、伯爵が叔父にあたる西班牙《スペイン》の貴族ボバドイラ侯爵から伝えられたものである。判事がまず口を開いて、
「犯人は強盗が目的であったとしても、この客間を狙ったのではないらしいですね。」
「いや、そうはいわれません。」と検事がいった。「強盗の第一の目的はこの有名な絵を盗み出すことにあったと思います。」
「それではその時間がなかったのですな。」
「この点を我々は十分調べてみようとしているのです。」

            負傷犯人の行方は?

 この時ジェーブル伯爵が出てきて機嫌よく二人の裁判官を迎え客間の次の扉を開けた。この書斎はドバルが殺されてからまだ医者の他何人も入らなかった場所である。室内は大混雑をしていた。二脚の椅子は引《ひっ》くり返り、卓子《テーブル》は壊れ、その他置時計や文具箱などはみんな床《とこ》の上に散らばり、あたりに飛び散っている白紙にはそこここに血潮が垂れていた。医者は死体にかぶせてあった敷布をとり除けた。家令のドバルは平素《いつも》着ているビロードの服を着、長靴を履いたまま、片手を下にして上向《うわむき》に倒れていた。カラーをとりシャツを開けば、胸部に物凄いほど大きな傷が鮮血に染《そま》って現われた。
「短劒でぐさっと一突き、それで殺《や》られたのです。」
「ああ、客間のストーブの上に、皮帽子と並べておいてあった短劒ですね?」と判事が言った。
「そうです。この短劒はこ
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