、実之助の言葉は、あくまで落着いていたが、そこに一歩も、許すまじき厳正さがあった。
 が、市九郎は実之助の言葉をきいて、少しもおどろかなかった。
「いかさま、中川様の御子息、実之助様か。いやお父上を打って立ち退いた者、この了海に相違ござりませぬ」と、彼は自分を敵と狙う者に会ったというよりも、旧主の遺児《わすれご》に会った親しさをもって答えたが、実之助は、市九郎の声音《こわね》に欺かれてはならぬと思った。
「主を打って立ち退いた非道の汝を討つために、十年に近い年月を艱難のうちに過したわ。ここで会うからは、もはや逃れぬところと尋常に勝負せよ」と、いった。
 市九郎は、少しも悪怯《わるび》れなかった。もはや期年のうちに成就すべき大願を見果てずして死ぬことが、やや悲しまれたが、それもおのれが悪業の報《むく》いであると思うと、彼は死すべき心を定めた。
「実之助様、いざお切りなされい。おきき及びもなされたろうが、これは了海めが、罪亡しに掘り穿とうと存じた洞門でござるが、十九年の歳月を費やして、九分までは竣工いたした。了海、身を果つとも、もはや年を重ねずして成り申そう。御身の手にかかり、この洞門の入
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