桶側胴《おけがわどう》の鎧を着た若武者が自分のそばに立っているのを見た。そしてその足元には、十字架を掛けた以前の壮漢が斬られて間もないと見え、ときどき弱い痙攣《けいれん》を血にまみれた全身に起している。
「惣《そう》八郎、助太刀を致した」とその若武者はいった。その男は、まぎれもない、同藩の佐原惣八郎であった。甚兵衛は頭を一振り振って、初めて意識の統一を取り返した。彼が壮漢のために、一撃を受けて昏倒したところへ、惣八郎が駆けつけて危急を救ってくれたことが、彼の頭のうちに明瞭に分明した。
彼は惣八郎に対して、命を助けられた感謝の言葉をいわねばならなかった。しかしそれがどうしても口に出なかった。
「良き兜《かぶと》でござるな」と惣八郎は何気なくいって、死骸から例の十字架をはずして、自分の物にしてしまうと、
「さあ、はや参ろう。残っておる者は、われらばかりじゃ」といい捨てたまま、小さい溝《どぶ》を飛び越えて畦道《あぜみち》を跡をも見ずに、急いだ。
甚兵衛は、独り取り残されて、深い溜息をもらした。彼は困ったことになったと考えた。どうして一刀の下に斬り殺さなかったかを、悔んだ。自分の兜の良いの
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