、一種の陶酔から覚めて命が惜しくなったらしく、急に悲鳴を挙げながら逃げ出した。すると甚兵衛もそれに釣られて、十間ばかり追いかけようとした途端、一人の壮漢が彼の行手を遮ったのである。
 その男は、南蛮ふうの異様の服装をしていた。そして甚兵衛には解《げ》せぬ呪文を高らかに唱えながら、太刀を回して、切って掛った。甚兵衛は中段で受け止めたが、相手の腕の冴えていることはその一撃が十分に証明した。甚兵衛は朝からの戦いでかなり疲れていて、鎧《よろい》の重さが、ひしひしと応えるのに、その男は軽装しているために、溌剌たる動作をなした。おまけに、太刀を打ち合うごとに、その男が胸に吊している十字架《クルス》が甚兵衛の目を射た。彼はその十字架に不思議な力が籠っているように思って、一種の魅力をさえ感じた。甚兵衛の太刀先を相手が避けて、飛び退《すざ》ったはずみに、二人の位置が東西になったと思うと、敵の十字架に、折柄入りかかる夕日が煌《きらめ》いた。燦然と輝いたと思う途端、甚兵衛は頭上に強いショックを感じて、あっと思う間もなく昏倒した。

「甚兵衛どの、甚兵衛どの」と呼ばれる声に、彼はふと自分に返った。目を開くと、
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