はまた、恩を受けたという事実を忘れようかと、考えてみた。しかし、それが徒労であることはすぐ分かった。家中の若者が一座して、武辺の話が出る時は、必ず島原一揆から例を引いた。ことに、慶長元和《けいちょうげんな》の古武者が死んで行くに従って、島原で手に合うた者が、実戦者としての尊敬をほしいままにするようになった。
「甚兵衛殿は、島原での覚えがあろう。太刀はおよそ何寸が手頃じゃ」などという質問が、よく甚兵衛に向けられた。そのたびに彼は不快な記憶を新たにした。
その上に、惣八郎は秘蔵の佩刀《はいとう》の目貫《めぬき》に、金の唐獅子の大きい金物を付けていた。それを彼は自慢にしているようであった。誰かに来歴をきかれると、
「これでござるか、天草一揆の折、分捕った十字架《クルス》を鋳直した物でござる」と彼は得意らしい微笑《えみ》を洩した。それ以上の詳細な説明はしなかったが、そばで聞いている甚兵衛は、席にいたたまらぬまでに赤面するのを常とした。
寛永十八年に、藩主忠利侯が他界して、忠尚侯が封を継いだ。それを唯一の事変として、細川藩には、封建時代の年中行事がつつがなく繰り返されるのみであった。
甚兵
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