その日ほとんど太刀打ちをしなかった。自分の前に進んで行く惣八郎が激しく戦ったからである。彼はそうして、終日惣八郎の手痛い戦いを見物するばかりであった。
二月二十八日は、いよいよ総攻めの日ときまった。城を囲んでいる九州諸藩の軍勢四万三千人のうち、原城《はらじょう》の陥落を望まなかったのは、恐らく甚兵衛一人であったろう。無論、寄手のうちに交っている切支丹宗門の者や徳川幕府に恨《うら》みを含んでいる者は、一揆の長く持ち堪えることを望んでいたかも知れない。しかし、そうした宗教的な政治的な動機を離れて、自分の独自の心で、甚兵衛は原城の陥らぬようにと祈っていた。
「もう、軍《いくさ》も今日|限《ぎ》りじゃ。城方は兵糧がない上に、山田|右衛門作《えもさく》と申す者が、有馬勢に内応の矢文《やぶみ》を射た」という噂が人々の心を引き立たせた。功名も今日|限《ぎ》りじゃ。身上《しんしょう》を起すには今日を逸してはならぬと寄手は勇み立った。
甚兵衛は今日|限《ぎ》りだと思った。今日を逸して泰平の世になったら、命を助けてもらったほどの恩を返す機会は、絶対に来ないことを知ったからである。
その日、惣八郎はや
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