竹槍をもって戦わしめたりする時に、褒美を先には少く後から多く与へた事や、当時から槍は三間柄が有利であるとの見解を持って居た事や、更に其頃次第に戦陣の間に威力を発揮して来た鉄砲の稽古に熱心であった事などを見ると、筑紫の坊さんの眼識を肯定出来そうである。
この様に何処かに争われない処を見せながらも、その日常は以前と異なる事がなかった。
平手|中務《なかつかさ》政秀は信長のお守役であるが、前々から主信長の行状を気に病んで居た。色々と諫《いさ》めては見るものの一向に験目《ききめ》がない。その中《うち》にある時、政秀の長男に五郎右衛門というのがあって、好い馬を持って居たのを、馬好きの信長見て所望した処、あっさりと断られてしまった。親爺も頑固なら息子も強情だと、信長の機嫌が甚だよくない。政秀之を見て今日までの輔育が失敗して居るのに、更にまた息子の縮尻《しくじり》がある。此上は死を以って諫めるほかに道はないと決意して、天文二十二年|閏《うるう》正月十三日、六十幾歳かの雛腹|割《さ》いて果てた。
その遺書には、
心を正しくしなければ諸人誠をもって仕えない、ただ才智|許《ばか》りでなく度量を広く
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