た翌日、たま/\その月の『文章倶楽部』を読むと、木村毅君の『手相』と云う小説が載っているので、読んで見ると作者即主人公が頗る手相学者なので、私は渡りに舟と未知の木村君に速達を出して、手相を教えてほしいと頼んだ。ところが、木村君の返事が、頗る心細いもので大に失望した。人間の運命が、掌中の紋様に現われるなど云うことは考えられないことであるが、しかし人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる。殊に私自身手相が当っているので手相が相当信じられるような気がするのである。
易は、私は一度見て貰った。それは数年前、郵便貯金の通帳を失くしたときである。三百何円しか金額はなかった。私は数日家中を探したがないので、面白半分に易者に見て貰った。二人見て貰った。ところが二人とも判断が合っているので、私は感心した。『失くした物は出るが、形はくずれている』と云うのである。即ち、品物ならば、壊れて出る、貯金の通帳などは、お金は、盗られていると云うのである。
私はそれを聞いて郵便局へ、通帳の紛失届を出し、通帳を再度下付して貰った所が、参百円以上あった金額は、六拾何円しかないのである。誰かが、私
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