とは、おそろしく貧乏で、全くなにも口にすることのできない日が幾日もあり、たとえどんなにうまく行った日でも、これで十分というほど[#「ほど」は底本では「ぼど」]食べられることなど決してありませんでした。ですから二人にとっては、これで腹一ぱいというだけ食べられれば、それがもう天国へ登ったほどありがたいことなのでした。しかしこんなに貧乏でも、おじいさんは親切でやさしく、孫のネルロも、嘘を言わない、無邪気な素直な心を持っていました。
 ふたりはもうほんのわずかなパンの皮とキャベツの葉っぱで満足して、その上はなんにも望みませんでした。ただ一つ、ねがいと言っては、犬のパトラッシュが、いつまでも側にいてくれればいい、と言うことだけでした。ほんとうにパトラッシュがいなかったら、今頃このおじいさんと孫はどうなっていたことでしょう。
 パトラッシュは彼等にとって全くなくてはならないものでした。この犬一ぴきが、彼等――老いぼれた不具者と頑是《がんぜ》ない幼児《おさなご》――にとっては、ただ一人の稼ぎ人、ただ一人の友達、ただ一人の相談相手、杖とも柱ともたのむ、ただ一つの頼りなのでした。フランダースの犬は、一体に頭も四本の脚も大きく、耳は狼のようにぴんと立っていて、何代も何代も親ゆずりの荒い労働で鍛え上げたがっしりしたその足は、何《いず》れも外側にひらいてふんばっていて、見るからに異常な筋肉の発達を示しています。全くフランダースの犬は、親子代々、一生、はげしいむごたらしい労働にこきつかわれ、力つきて、ついには路上に血を吐いて行き倒れる、という運命を持っているのでした。そうした犬を両親にしてパトラッシュは生れました。彼は悪罵《あくば》と鞭とに育てられ一疋前《いっぴきまえ》の犬となる前にすでに荷車を挽く擦傷《すりきず》のいたさと、頸環《くびわ》の苦しみを味いました。彼は生れてやっと、一年たつやたたずで、もう、ある金物行商人の手に売られ、そこで、思い出すもおそろしい生活を強いられたのでした。その主人と言うのは、飲んだくれの情知らずで、食物《たべもの》などろくろく与えず、山のような荷をひかせ、絶え間なく鞭をふり下すのでした。幸か不幸か、パトラッシュには力がうんとありました。根がこう言った残酷な労働をするように生れ落ち、慣らされて来た、鉄のような血統を受けているのですから、大抵の労働には、へたばること
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