なるほどでした。村の中央には、苔《こけ》むした土手の上に風車がそびえ立っています。この風車はこの辺一帯の低地の目標ともなっているものでした。ずっとずっと昔、この風車は翼《はね》も何もかもすっかり真紅《まっか》に塗られたこともありました。が今はもうその燃えるような赤い色も風雨にさらされて汚なく色あせてしまい、まわり具合も、よぼよぼのおじいさんのように、止ったり、動いたり、という有様になってしまいました。とは言えまだこの辺の人達の麦搗《むぎつき》の役は充分足しています。この風車と向き合って古ぼけた小さな教会堂が建っています。その細長い塔の上の鐘は、朝に夕に、静かな、かなしげな音をひびかせるのでした。東北の方広々とした平野の彼方にはアントワープの旧教寺院の尖った塔が、そびえ立っているのが望まれました。平野にははてしもなくあおやかな穀物の畑がひろがって、まるで一面海のようでした。
さて、その村はずれの小屋の主人というのは、大へん年とった、そして大へん貧乏で、ジェハン・ダアズというおじいさんでした。このおじいさんも、ずっと以前は軍人で、あのナポレオンの大軍がこのベルギーに攻め入って来た時には、戦いに出た経歴も持っています。しかもこのおじいさんが、その戦場から持ちかえった[#「持ちかえった」は底本では「持ちかえた」]ものとしては何一つなく、ただ、大きな傷を受けて、一生|跛《ちんば》をひきずらねばならないことだけでした。
ジェハンじいさんが八十才になった時、じいさんの娘が、アンデルスというところで死に、二才になったばかりの男の子をおじいさんの手に残しました。自分一人の暮しさえやっとであるこの貧乏なおじいさんは、それでも愚痴一つこぼさず、この厄介者を引き受けました。そしてこの厄介者はじき、おじいさんにとって、可愛い、尊い、なくてはならない大切なものになってしまったのでした。その忘れがたみのネルロ――実の名はニコラスというのだが、それを可愛らしく呼んでネルロとしたのです――は、この上ないおじいさんの慰め手となって、この小さな小屋はほんとうに平和でした。小屋は粗末な掘[#「掘」は底本では「堀」]っ立て小屋にすぎませんでしたが、おじいさんは、いつもきちんと片づけ、貝殻のように白く塗り立てて、まわりには、ささやかな豆や薬草や南瓜《かぼちゃ》の畑をつくっていました。
このおじいさんと孫
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