さしい声をかけてくれたり、抱きしめたりしてくれるのですもの。なおありがたいことには、一日の仕事が、三時か四時にはすんでしまって、あとはパトラッシュの自由な時間なのでした。日向ぼっこをしようが、子供と一しょにふざけようが、近所の犬と遊ぼうが、まったくしたい放題。パトラッシュはもうもう満足し切っていました。殊に運のいいことには、前の主人の金物屋は、あのルーヴァンのお祭りさわぎに、ひどく酔っぱらったあげく、喧嘩をして殺されてしまったのです。生きていて、もしもみつけ出されでもしたら、パトラッシュ[#「パトラッシュ」は底本では「パートラッシュ」]は否応なし、この新しい居心地のいい家から、ひきずられて行かねばならなかったでしょうに。
 それから二三年たちました。ジェハンじいさんは、それまでなやんで来た跛《びっこ》の上に、今度はリュウマチをわずらって足がひどくしびれるようになり、もうこの上は、車について出かけられなくなってしまいました。この時六才になっていたネルロは、それまで何遍となくおじいさんにつれられて行って、アントワープの町の様子も知りつくしていましたので、おじいさんに代って車について行くことになりました。牛乳を売って代金を集め、それを、それぞれの牧場主にとどける。その様子がいかにもいじらしくて気の毒なので、見る人の心を感じさせずにはおきませんでした。
 ネルロはほんとうに美しい少年でした。黒目勝ちな凉《すず》しい瞳、薔薇のように生々《いきいき》した頬、そしてつややかな髪が、ふさふさときゃしゃなえり元までたれていました。で、この少年と犬と牛乳車をモデルにする画家が、たくさん出て来ました。――緑色の牛乳車にかがやく真鍮の缶、それを曳くのは大きな鳶色の猛犬。梶棒につけた小鈴が、一足毎に可愛い音《ね》をたてて、つきそうのは可憐な美少年。小さな白い素足に大きな木靴をはいて、ルーベンスの名画から抜け出して来たようなたのしげな邪気《あどけ》ないその顔は、どんなに人をひきつけたことでしょう、大勢の画家たちが我勝ちにと画《えが》いたのも尤もなことでした。
 ネルロとパトラッシュとはすっかりこの仕事に慣れ、また、こころからこの仕事を好いていたので、夏になってジェハンじいさんの病気がよくなっても、もうおじいさんは出かけて行かなくてもすむのでした。おじいさんは日あたりのいい小屋の入口に腰を下して
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