なく、村にいて、仕事としては、畑の番、牛小舎、鶏小舎の番、小さな田の番、などいろいろたのまれるのでした。しかし、もうそろそろおじいさんには、仕事がむずかしくなって来ました。なにしろ八十三という年寄になったのですもの。アントワープへ行くにしても、三里からの道を歩かねばならないのでした。
 パトラッシュは、はじめて、しゃんと起き出た日、おじいさんが持って出たり持ってかえったりする牛乳缶を、じっと気をつけてながめていました。鳶いろの頸に野菊の花環を巻かれたままで、日向ぼっこをしながら。そして、そのあくる朝になると、パトラッシュは、おじいさんがまだ車に手をかけないさきに起きて行って、ぴったり、車の梶棒の間にからだをおきました。それは丁度、私は車をひくことを知っています。どうかせめてこんな仕事でなりと、御恩がえしをさせて下さい、と言うかのようでした。が、このおじいさんは、犬に車を曳かせるのは、神さまが犬をつくられた御心ではない、と信じている人でしたから、それを長いこと、許さずにいました。しかし、パトラッシュはどうしてもそれを止めません。おじいさんが、自分のからだを梶棒に結《ゆわ》いつけてくれないと知って、今度は、歯でくわえて曳いて行こうとするのでした。これには、さすがのおじいさんも根まけがし、また、自分の助けた動物の、恩をかえそうとする心のけな気で熱心なのに打たれて、とうとうそれを承知してしまいました。そこで、犬が挽きよいように車をつくりなおし、おじいさんの命のあるかぎり、それを毎朝犬が、せっせと曳くことになったのでした。冬になると、おじいさんは、ルーヴァンの祭の日に、死にかかった犬を溝《どぶ》から救いあげてやったことの仕合せを、つくづく感謝するのでした。何しろ、年老いて、おとろえる一方のおじいさんです。もしこの忠義な犬が、骨身惜しまず働いてくれなかったとしたら、雪道や、ぬかるみの深い轍の跡を、重い牛乳缶をつけてひっぱって行くのが、どんなに辛いことだったでしょう。
 ところで、パトラッシュにとっては、こうして働くことがまるで天国のように思われました。あの因業な昔の主人に、山なす重荷をつけられて、一足毎に鞭でぴしぴし打たれた身には、このおじいさんの緑色の小さな手車に、ぴかぴか光る真鍮の缶をのせて行くことなど、思いもかけなかったたのしさでした。まして親切なおじいさんが、たえず、や
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