な緊張の中に、軽快に得意に立ち回っている士官があった。それはむろんゼラール中尉である。
独軍が国境を越えたという報をきいた時の彼の感情は、他の人たちのとは違っていた。むろん彼は、祖国にとって不忠な軍人ではなかった。が、彼は祖国の運命を心配する感情の陰に、自分の意見が適中した快感が潜んでいるのをどうすることもできなかった。しかも望遠鏡のうちにドイツの騎兵の活動が見え出すと、彼の心のうちに憂慮と得意とが妙にこんがらがった。が、彼は周囲の反感を買うのを恐れて、なるべく皆と心配を同じにするような顔をすることに努めた。
八月の最初の木曜日に、独軍は第一砲弾をリエージュに送った。ポンチスの要塞がまずこれに応戦したが、リエージュの各要塞では二、三日前から実弾射撃演習を始めていたので、いつまでが練習で、いつからが実戦になったのか、ただ砲声をきいている市民には分からなかった。
ゼラール中尉は、フレロン要塞の第二の砲台を担当していた。それは最も新しい式の隠見《いんけん》砲台であった。遠方から見れば、芝生の大堤防であった。が、内部で軽く電気ボタンを押すと、三つの砲門が一種の唸りを立てながら、堂々たる姿を地上に現すのであった。発射が終る瞬間、それは再び急速に沈下するのであった。
ゼラール中尉は、独兵が侵入して以来、どうにかして、ガスコアン大尉に会って前の日の激論の止めをさしたいと思っていた。が、大尉はなんとなくゼラール中尉を避けているようであった。
次の日の金曜には、独軍の砲撃は猛烈を極めていた。フレロン要塞にも頻々として命中弾が続いた。第三と第七の砲台が半ば以上破壊されてしまった。
ゼラール中尉の奮戦はまことに見事であった。彼の勇敢な、しかも沈着な態度は、部下の信頼を買うのに十分であった。
その日、ガスコアン大尉は、司令官から各砲台の視察を命ぜられたので、余儀なく第二砲台を訪《と》わねばならなかった。大尉と中尉とはしばらく睨み合っていた。公式上の応答が済むと、ゼラール中尉は、
「どうです、時は正当な審判者ですね」といいながら敵意のある微笑をもらした。見ると、ガスコアン大尉の顔は怒りに震えていた。大尉は国家の存亡の時に当っても、なお自分の意地を捨てないで、独軍の侵入を欣《よろこ》んでいるようなゼラール中尉を心から憎んだのである。彼は思わず佩剣《はいけん》の柄《つか》を握りしめ
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