《てい》よく手を引くところであったが、問題が自分たちに本質的に関係しているので、ついつい深入りをしてしまったのである。二人は熱狂して卓を鳴らしながら、政略上から、戦術上から、外交上から、散々に論じ合った。
 傍観者も議論が口で行われる以上、止める気はなかった。で、二時間近くも論戦は続いた。もう二人ともいうことは何も残っていなかった。
 と、平常に似合わず激昂していたガスコアン大尉は、最後に、
「時が証明するのを待とう」と叫んだまますたすたとその室を出ていった。
「むろん! お互いにさ」とゼラール中尉の激しい声が、ガスコアン大尉を追っていった。その翌日も翌日も二人は挨拶もしなかった。
 八月一日、ドイツがフランスに向って宣戦し、仏露がこれに応じた。大仕掛の殺人事業の序幕が開かれたのである。
 ベルギーを衝くか衝かぬかは、ベルギーにとっては死活の問題であった。人々は皆独帝の剣《つるぎ》が、他を指すことを心ひそかに祈っていた。ただベルギー人の中でゼラール中尉一人だけは、独軍の国境突破の報を今か今かと待ち受けていた。
 八月三日の日にゼラール中尉の期待がかなえられた。
 白独の国境からリエージュまでの地方は、ベサール川とヴェスドル川の流域である。樫《かし》や※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の森林におおわれた丘陵がその間を点綴《てんてつ》していて、清い冷たい流れの激しい小川がその丘陵の間を幾筋も流れていた。
 八月三日になると、もう苔色《こけいろ》の軍服を着たドイツの軽騎兵がその間に出没し始めた。
 四日の日は、独軍の縦隊が、いくつも銀のように輝いて流れるヴェスドル川の渓谷に沿ってリエージュに向ってきた。リエージュを守るポンチス、ルマン、ロンサン、バルションの堡塁は、皆戦闘準備にかかった。が、何人《なんぴと》も滔々《とうとう》と限りなく続くドイツの大軍を見ては、不安と恐怖とにとらわれぬわけにはいかなかった。
 市民たちには、義勇兵を志願するものが多かった。元来リエージュの町は小銃製造地であったので、どの家にも一挺や二挺の小銃はあった。皆それを手にして思い思いの要塞へ駆け込んだ。
 要塞の士官たちも、皆決死の色を湛《たた》えていた。独軍の圧倒的の攻勢の前には、ただ死があるようにしか思えなかった。士官や兵卒は沈黙のうちに懸命の努力を尽していた。ただこうした悲観的
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