席の方を眺《なが》めますと、何時もとは異《ちが》って、平土間の見物席の辺《あた》りが神々《こうごう》しく輝いているように思ったのであります。これは私が大仰に申すのではありません、実際に私はそう感じたのであります。あああの御婦人が来て下さったなと、私は直ぐ感づいてしまいました。私は犬飼現八と立ち廻りをしながら、隙《ひま》を窃《ぬす》んで、見物席の何時も貴女が、坐っていた辺りを見ますと、私の感じは私をあざむい[#「あざむい」に傍点]てはおりませんでした。小石のようにゴタゴタ打ち並んだ客の中に、夜光の球のように貴女のお顔が、辺を圧してとも申しましょうか、白々と神々しく輝いていたではありませんか。しかも、あの二つのお眸が美しい私の身に取っては、懐《なつか》しさこの上もない光を放って、犬塚信乃になった私の身体《からだ》を、突き透すほどに鋭く、見詰めておられるではありませんか。それは、明かに恋の瞳《ひとみ》です。恋に狂っている女の瞳です。私は貴女から手酷く拒絶せられたのを忘れて、やっぱり貴女は私を思っていて下さるのだと、考えずにはいられませんでした。が、あの日私が又々|無躾《ぶしつけ》を申して、貴
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