愚な私は貴女が私を恋して下さるものだとばかり思って、どれほど自分自身を幸福な人間だと、考えたことでしょう。私は、見物から、余り喝采《かっさい》も受けませんでしたが、貴女の二つのお眸が、私の動作を、じっと見ていて下さるのだと思うと、千人の見物から喝采せられるよりも、どれほど嬉《うれ》しかったか知れません。その中に、私自身貴女の眸の力が、私の心の奥深く日に増し、貫いて来るのを感じました。私は、役者として長い間、色々な女性にも接して来ましたが、貴女ほどの美しさを持った方に一度も逢《あ》ったことがないように、思い始めたのです。何時《いつ》の間にか、私は貴女をお慕い申すようになっていたのです。私は貴女のお姿が見えない時は、見物席がどんなに一杯であろうとも、芝居をするのに少しも力が入らないのです。又それと反対に、どんなに入りが少い時でも、貴女のお姿が平土間の一隅《いちぐう》に見えますと、私は生れ代ったような力と精神とで、私の芸を演じました。そして、私の動作につれて貴女のお眼の色が、輝いて来るのを見て、どんなに幸福を感じたでしょう。私が舞台の上で歎けば、貴女もお歎きになり、私が舞台で笑えば、貴女もお
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