いて、祖母が駕籠《かご》から下りて木履を履く時には、ちゃんとその中に湯を通して置くと云う、贅沢《ぜいたく》な仕掛になっているそうであります。
祖母は、やっと娘になったかならないかの十四五の時から、蔵前小町と云うかまびすしい評判を立てられたほどあって、それはそれは美しい娘であったそうです。が、結婚は頗《すこぶ》る不幸な結婚でありました。十七の歳に深川木場の前島宗兵衛と云う、天保《てんぽう》頃の江戸の分限者《ぶげんしゃ》の番附では、西の大関に据えられている、千万長者の家へ貰《もら》われて行ったのですが、それは今で云う政略結婚で、その頃段々と家運の傾きかけた祖母の家では前宗(前島宗兵衛)に、十万両と云う途方もない借財を拵《こしら》えていましたが、前宗と云う男が、聞えた因業《いんごう》屋で、厳しい督促が続いたものですから、祖母の父はその督促|除《よ》けと云ったような形で、又別の意味では借金の穴埋と云ったような形で、前島宗兵衛が後妻を探しているのを幸いに、大事な可愛い一人娘を、犠牲にしてしまったのです。
何でも祖母が結婚した時、相手の宗兵衛は四十七だったと云うのですから、祖母とは三十違いです
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