た男がありました。前と丸切り違った落着いた声で、
「千葉署の刑事です、貴君は」と、訊きました。そう聴くと私はホッと安心して、
「そうですか。どうも御苦労です。私は角野一郎の妻の実弟です」と、云いました。すると、刑事は、
「それならば、どうかおはいりください。が、まだ検屍が済んで居ませんから、手を触れてはいけませんよ」と、申しました。私は、刑事にこう云われた時、頭から冷水を浴せられたように、ぞっとしました。
「えっ! 検屍! 誰が殺されたのです、角野ですか、妻ですか」と、私は急《せ》き込んで訊きました。
「まあ! 行って御覧なさい。お気の毒です」と、職業柄、こうした被害者を見馴れて居る刑事さえ、心から同情を表して居るようでありました。
 私は、心の中で義兄かそれとも姉かと、思いました。義兄が抵抗した為に斬られたのであろうと思いました。肉親に対する私の利己的な愛は、やっぱり被害者が義兄であって姉でないことを、心|私《ひそ》かに祈って居ました。
 門から、玄関迄は四間位ありました。私は玄関の格子を開けると、
「姉さん」と、呼んで見ました。内からは、寂としてなんの物音も聞こえないのです。その癖
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