とさえ、不快に思われます。が、私は此の書状を以て、申上ぐる事の前提として、当時の事をちょっと申上げて置かなければなりません。
 私の義兄の角野一郎は、大正三年の三月迄東京で雑誌記者を致して居りました。が、その頃|痼疾《こしつ》の肺がだんだん悪くなりかけましたので、転地療養の為、妻の実家即ち私の家の所在地なる千葉町へ参ったのであります。そして、私の父母と相談の上で、海に近い郊外に六畳に四畳半に二畳の小さい家を借りまして、そこで病を養うことになったのであります。私の父母は、今迄東京に住んで居た為に、月に一、二度しか逢う機会のなかった姉が、つい手近に移って来た為に、毎日のように顔を合わせることが出来るのを非常に欣《よろこ》んで居たようでありました。幸い義兄の病気も、夏に向うに連れて段々快方に向うようで、一夏養生を続けたならば健康を恢復するだろうと姉夫婦も私も私達の父母も、愁眉を開いて居たのでありました。が、こうした小康を欣んで居た時、あの怖ろしい運命が姉夫婦を襲いかけて居たのであります。
 忘れも致しません。それは大正三年の五月二十一日の夜と申しても、正確に云えば、翌二十二日午前の四時頃であ
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