栄二 今、お帰りですか。
章介 ああ、疲れた疲れた。どうも年のせいか浮世の風の荒くなったせいか、この頃はすぐくたびれて……。
栄二 あまり稼ぎすぎるのじゃないのですか。そろそろ引退でもなすったら。
章介 ううん、引退したいにも、後を継いでくれるものがおらんじゃないか。
栄二 (笑って)私ではどうです。
章介 ああ、お前がやってくれるなら文句はないがね。
栄二 (何か慌てて)いやあ、止しましょう。又何時会社をおっぽり出して行方《ゆくえ》をくらますかもしれませんからな。ははは。……しかし、こうなるとやっぱり強情を張って独身を押し通したことを後悔しませんか。
章介 なに別に後悔もしないがね。しかし驚いたよ。俺のケチなメリヤス会社でも世間並に争議が起るんだからな。
けい まあ……。
章介 世の中は悪くなったよ。市電のストライキ、炭坑の争議、銀行襲撃、張作霖《ちょうさくりん》の暗殺騒ぎ、まるで徳川末期の百鬼昼行だ。一体どういうことになってゆくのかね、日本は。
栄二 まあ、一応ゆく所迄ゆくんでしょ。
章介 行く所というのは何処だ。
栄二 そりゃ、僕にもわかりませんが。
章介 いやに責任を持ったようないい方をするな。俺はこの頃そういう物のいい方をきくと焦々《いらいら》する。
けい ほんとに、このままじゃ家なんかも、間もなく行く所へ行きそうですよ。
章介 う……ん。蒋介石も折角日本の力で共産党を追って返り咲いても、この有様では国民党もガラガラだ。
けい 孫文以来、日本とは切ってもきれない間でしょうにね。
章介 王正廷の背後には米国という後ろだてがいるんだ。王が外交部長に就任すると、同時に米国から田中総理に一種の威嚇的《いかくてき》な申し入れがあったといわれている位だからね。
けい それじゃ中国の政治ってものは誰がやっているんだかわかりゃしませんね。
栄二 誰が出て来たって、今迄のような頭目政治をやっている限り同じことですよ。可哀想なのはその都度《つど》道具に使われては絞られる一般民衆です。
章介 中国の政治のよくない所は何時でも外国の力を利用して、他の外国を牽制してばかりいることだ。こりゃもう、日清日露の役以来そうなのだ。アメリカ、イギリス、ロシア、実に厄介極まる。
栄二 そうですよ、中国はどうしても、中国自身の手に戻さなくちゃいけません。中国に関係のあるすべての外国は中国から手を
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