と、我々は、やっつけられどおしですよ。それじゃァ息が吐《つ》けない。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 息つぎには、なりますのね。
須貝 失敬。悪口のつもりじゃないんですよ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 構いませんの。でも……妾、好きですわ、あの人。あんなに思ったことを、そのままずんずん運んでゆけたらどんなにいいかしら、と思うこともあるんだけど!
須貝 そう言うことが、ありますかなあ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] ありますわ。でも、やっぱり駄目なんですの。
須貝 性質だから……尤《もっと》も、あんな風になりたいってのは、結局とてもあんな風になれないと言うことかもしれませんね。案外、向うでもあなたのようになってみたい、と思ってるかもしれないが……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] まさか。
須貝 未納君はどうかしりませんよ。(笑う)そう言ってやったら、張り倒されるかもしれないな。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 妾だって、ちっとも温柔《おとな》しくなんか、ないんですよ。
須貝 いや、まあ、標準ですよ。未納君が活発だとすると、あなたは……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 鈍感なんですわね。
須貝 こりゃ、いかん。今日は何の日かしらん。婦人との口論、差控うべし、か。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] あら、御免なさい、妾……。
須貝 冗談ですよ。むきになっちゃァいかん。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] (笑う)いやだわ……須貝さん。
須貝 しかし、なんだな……少し工合が悪くなって来て……困るな。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] なんですの。
須貝 いや、別に……なんでもないんだが……未納君、変なこと言いましたね。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] ――
須貝 あんなこと、考えていたのかな。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] さあ。
須貝 今迄、あなたに、そんなこと言ったことが、あるんですか。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] いいえ、そんなこと……。
須貝 少し、きびしく叱っておかないといけませんよ、お姉さん。どうも、あんなことを言われると、これからあなたに平気で物が言えなくなるなあ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] ――
須貝 なに、気にすることはないんです。ただ……僕は……あなたに御迷惑をかけると済まないと思うもので……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] そんなことありませんわ。だけど、あのう……(何か云おうとするが、うまく云えない)妾ね……(思い切って、話しそうになる)
[#以下3字下げ]
昌允《まさたね》、川原からのっそり入る。
[#ここで字下げ終わり]
須貝 おお。
昌允 ああ、あなたは、今日はもう、ちっとも行かないんですね、撮影所へは。
須貝 今日は一ん日、休みます。
昌允 (川原の方を振り返って)はははあ、未納の奴……須貝さんと間違えたんだな。
須貝 どうか、したんですか。
昌允 いやァ、なんでも……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 未納ちゃんに、お会いになったの。
昌允 会ったって言うわけじゃないんだ。川原でぶんぶん石を抛《ほう》ってたからね。近づいてって、声を掛けようと思うと、ふり向きもしないでどんどん行っちまやがった。おかしな奴だ。
須貝 さっきから、此処《ここ》でさんざんふざけちらしてたものだから……。
昌允 彼奴《あいつ》は、悪ふざけをするんで……美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]さん、俺、喉が渇いてるんだ、済まないが、あれ……ほら(云えない)
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] (立上る)ええ、わかってよ。でも……いいの?
昌允 大丈夫さ。須貝さん?
須貝 いいですね。
昌允 オレンヂ、がいいや。あるかな……。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] あったと思うわ。(行きかかる)
昌允 シェーカーは俺の部屋だよ、ああ、此処へ持って来るといい、俺がこしらおう。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] ええ、直ぐ。妾だって、出来ることは出来てよ。(去る)
昌允 何時から、仕事におかかりになるんです。
須貝 明日から、やるつもりです。(煙草のケースを取り出して)どうです。
昌允 え、有難う。(つまむ)すると、明日は、此の家では変ったことが二つあるわけですね。
須貝 (火を磨《す》ってやりながら)そうなりますね。僕は、始めにステージの仕事を片づけて、後でロケの方をやりたいつもりです。
昌允 家の親爺《おやじ》もそうですね。
須貝 先生もそうです。そっくり真似るわけにはゆきませんがね。
昌允 天気の関係やなんかもあるわけでしょう。
須貝 それは、あるわけです。
昌允 僕は、こないだ、ちょっと親爺の写真のかかっている小屋を覗《のぞ》いてみたんだけど……駄目ですね。あれで、会社じゃどうなんでしょう。
須貝 先生ですか。どうってことは無いです。やっぱり大監督ですね。
昌允 惰性なんですね、それは。僕は見ていてすっかり退屈してしまったな、僕みたいなものがそうなんだから、見馴れた連中は如何《どう》なんだろうと思って、周辺《あたり》を見回したら、やっぱりみんな思い屈したような顔をしてましたよ。楽しんでるような顔はまるで無かったな。
須貝 どうも、そう言われると、こっちが大変つらいわけなんだが。これで活動屋も楽な商売じゃありませんからね。
昌允 結局、なんて言う……つまり……センスの問題なんじゃないですか。須貝さんなんか、若い監督さんはやっぱり違うでしょう、どこか。一本になられたんだし、期待しています。
須貝 さあ、そう期待されると、益々困るんです……(美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]、グラス、シェーカーなどを台に載せて入って来る)まあ、意気込んでいるには、いるわけなんだが…それがねえ……
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 冷蔵庫にこれっぽっち、氷……。ビタースも心細くってよ。
昌允 ん。(立ち上って、飲みものを造りにかかる)今日は何処へ行って来たんだ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 妾? 母さんと衣装|査《しら》べに。
昌允 衣装査べって、此の間、済ませたんじゃないのか。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] でも、なんだか安心出来ないんだって。いざと言う時になって、足りなかったりすると困るからって……。
昌允 前ので懲《こ》りたらしいな。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 須貝さん御存じ、この前の公演の時にね、もうベルが鳴り始めてから、持ち道具が一つ足りないのに気がついて大騒ぎしたんですよ。
須貝 ちっとも気がつかなかった。そんなことがあったんですか。
昌允 そう一々、客席に知れちゃァ、仕様がない。
須貝 こんだのは、なんだか大変なんですってね。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] そうなんですの。此の間初めて、舞台稽古をみたんですけど、全部あれでしょう、和服みたいなものでしょう、そこへ音楽が妙なんですもの……妾なんかまるで面喰《めんくら》って了って……。
昌允 まあ、あなたが踊らないから仕合せだがね。(氷を割っている)
須貝 何て言うんでしたっけ、題は。
昌允 よく知りません。源氏物語かなんかから取ったつもりなんでしょう。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 夕顔からよ。
須貝 さて、成功だといいが。
昌允 しやしませんよ。妙に変ったことなんか、しない方がいいんですがね。周囲からおだてられるとすぐその気になるから……。
須貝 まあ、そう言ったものでもないでしょう。今の時代だから、そう言う趣向もいいかもしれない。
昌允 目先を変えるだけなら。しかし、目先なんか、いくら変えたって駄目ですよ。
須貝 そうかな。しかし、変るって言うことは、僕には別に悪いことには思えないが。
昌允 バハのプレリウドから、いきなり源氏の夕顔にね……何ういうことでしょう、そりゃ。その次はまたツアーベルかネヴィンですよ。
須貝 しかし、その後のツアーベルは……。
昌允 前のと違う。そう被仰《おっしゃ》るんでしょう。怪しいですね、そりゃ。
須貝 怪訝《おか》しいじゃありませんか。どうして。
昌允 僕は、それくらいなら、同じツアーベルを続けてやってる方がいいと思いますね。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] お兄さん、もういいわ、そんなに振らなくったって。
須貝 考え方の相違ですね。どっちがどうと言うことは言えないと思う。もういいじゃありませんか。
昌允 ええ(注いでやる)
須貝 有難う。
昌允 不味《まず》いかもしれませんよ。
須貝 いや。あなたは、どうして先生の仕事をなさらないんです。
昌允 (立ちかける美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]に)おい、何処へ行くんだ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 妾、帰ったまんまで着換えもしてないんだもの。
昌允 そうか。しかし、折角つくったものだ。飲んでゆかないか。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 駄目、お兄さんが作ると、ウイスキーなんだもの。
昌允 少しくらい、飲んだ方がいいんだよ。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 厭だわ、妾。
昌允 ひどく怖いな。須貝さん、そんなに感じやしないでしょう。
須貝 しかし、これは……。
昌允 落第ですか。
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11] 直ぐ出て来てよ。(須貝に)御免なさい。
昌允 うん。
[#以下3字下げ]
美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]、去る。
[#ここで字下げ終わり]
昌允 僕は算盤《そろばん》をはじく方が性に合うんです。物を創るなんて言う柄じゃないですね。
須貝 (面喰って)え、ああ、しかし……。そうですか。
昌允 何です。
須貝 いや。
[#ここから3字下げ]
間。
[#ここで字下げ終わり]
昌允 未納の奴一体………
須貝 考えてみるとこの…
}(同時に)[#「}(同時に)」は前2行の中央、下に]
[#ここから3字下げ]
間。
[#ここで字下げ終わり]
須貝 未納君って言う人もあれで……
昌允 芸術なんて奴はどうしても……
}(同時に)[#「}(同時に)」は前2行の中央、下に]
[#ここから3字下げ]
間。
[#ここで字下げ終わり]
須貝 さあ、何です。
昌允 どうぞ……あなたから……。
須貝 そうですか。つまり僕はこう言うことを考えてるんだが……ええっと……僕は何の話をしようとしてたのかな……。
昌允 忘れたんですか? そういうことは……ありますね。妙な話ですが、あなたは、未納と美※[#「にんべん+予」、第3水準1−14−11]と、どっちがいいと思います。
須貝 ……いいって言うのは、何《ど》う言うことです。
昌允 さあ、そう念を押されても困るんだが、まあ綺麗《きれい》でもいいですよ。何方《どちら》が綺麗だと思います。
須貝 こりゃ難しい話だな。
昌允 そんなことはありませんよ。
須貝 どちらも、同じくらい綺麗、じゃいけないですか。
昌允 いけませんよ、それじゃ、返答にならない。
須貝 待って下さい。(考える)何うも……。
昌允 答えて下さい。あなたが貰うんだったら、どちらを取ります。
須貝 お菓子だな、まるで。
昌允 お菓子だと思って下さい。
須貝 僕は、考えてみたことがないんですよ、そう言うことは。
昌允 考えてみておいた方がいいですよ。今に考えなくちゃァ、ならなくなりますよ。
須貝 しかし僕は今それどころじゃないんですからね。新しい仕事のプランだけで
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森本 薫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング